自分のモノサシを
持っているあなたも
持っていないあなたも
こんにちは。
「この本、買おっか」と言ったら、「肛門科?」と聞き返されて唖然とし杉田です。
1週間お疲れさまでした!
えーと、私がセラピーをしている時って、クライアントさんの言葉や身体の動きを観察するんですけど、「言葉」の面で、私がチェックしていることの1つに、
「その人が繰り返して言う言葉」
っていうのがあるんです。
たとえば、これまでの人生ガンバってきて、はたから見れば優秀な方とかに多いんですけど、セラピー中に何度も、
「何が正解かわからない・・・」
「どちらに行くのが正解か・・・」
みたいに、やたらと「正解」という言葉を繰り返して言う方っていらっしゃるんですね。
で、そういう時、私は、
「あ、もしかするとこの方は、自分のモノサシがないことに悩んでいるのかな?」
って思ったりします。
あ、この場合の「モノサシ」って意味は、もちろん文房具のモノサシではなくて、
「自分の価値観」
ていう意味なんですけど、生まれてからずっと、
「親や先生が良しとすることをガンバる」
「学級委員や部長や生徒会長になる」
「できるだけ偏差値が高い学校に行く」
「就職したいランキングに載っている会社を目指す」
みたいに、
全部「他人が用意してくれたモノサシ(価値観)」の中で、「その中で、できるだけ上に行くのが正解だ!」
と思ってやってきた方って、
いざ、「他人が用意してくれたモノサシ」がなくなってしまうと、どうしていいかわからなくて、ボーゼンとなってしまうんですよ。
で、特にそういう方がボーゼンとなって、セラピーに来るタイミングって、
「仕事がイヤになって辞めたくなった時」なんです。
というのは、そういう方は、世間で良しとされるような、
「1つの会社に長く勤めるのが正解!」って思っていることが多いのに、「たった○年で転職する」ということ自体が、もうその方の中では、「不正解」なわけだし、
もし転職するにしても、「他にやりたい仕事が見つかってから転職するというのが正解!」って思っているのに、
今まで「他人が用意してくれたモノサシ」の中で生きてきたので、そもそも、「自分のやりたいという感覚自体がわからなかったりする」んですよね。
だから、「他にやりたい仕事」なんて全く浮かんでこないんですよ。
なので、「自分のモノサシがない方」にとって、「仕事がイヤになって辞めたくなった時」って、初めて(その方にとって)正解ではない領域に足を踏み入れることになるので、一大事なんですよね。
あ、でも、こういう「自分のモノサシがない」とかって、なにもそういう方ばかりの話でなくて、
人は、自分でも気づかないうちに、「自分のモノサシ」で物事を見れなくなっていることって、けっこうあったりするんですよ。
たとえば、「仕事を辞めても、次の仕事までの期間は、空かないほうが良い」なんて話、あるじゃないですか。
そういう話を聞くと、
「まぁ、そうだよね。次の仕事までの間は、空かないほう方が良いよね」
なんて、さも自分自身がそう思っているような気がしてしまいますけど、
よく考えてみれば、「次の仕事までの期間は、空かないほうが良い」って思っているのは、
「採用する側が」
なんですよね。「自分が」じゃなかったりしませんか?
だって「自分のモノサシ」から見れば、
「仕事辞めた後、休みたいに決まってるじゃん。だって、イヤになって辞めたんだよ。こんな時じゃないと、旅行とかも行けないし」
なんて思いません?
と、こんな感じで、人は、気づかないうちに、「他人のモノサシ」が「自分のモノサシ」だと思っていることって、けっこうあったりするんですよ。
あ、で、話戻して、今回の記事でお話した、「自分のモノサシがない」って方って、
先ほども言ったように、これまでの人生ガンバってきて、はたから見れば優秀な方とかが多いんですけど、
そういう方が、仕事がイヤになって、ツラそうにセラピーの来た時って、私、
「いやぁ、良かったねぇ。ようやく自分になれますねぇ」
って思ってしまうんですよ。
エッ、「その人はツラそうなのに、のん気なこと言うな!」ですって?
そ、そうですよね。
でも、これ、ふざけて言っているわけじゃなくて、
そうやって、
「不満に気づけて表現できるってことが、「自分」が出てきたって証拠」
だと思うんです。
今までは、そういう気持ちがあっても見ないようにしてきたわけでしょ。
あ、というか、そもそもこういう「やってみたら仕事がイヤになった」みたいな、
「気持ちが変わるのは、自然なこと」
だと思うんですよ。
あ、これどういうことかというと、
たとえば、あなたが、テレビ番組を見ていて、たまたま聴いたアーチストの曲が良くて、その人のCDを買ってみたけど、CD全体を聴いたら、イマイチだったので、それ以降そのアーチストに興味がなくなった、
なんてことがあったとしますよ。
そういう時、そのアーチストにに興味がなくなるって、「あなたがダメだから」とかではないですよね。
そのモノに近づいて、もっと知ったりすると、気持ちが変わったりするのって、自然なことじゃないですか。
それと同じように、「やってみたら仕事がイヤになった」ってことも少しもおかしなことではなくて、自然な心の変化だと思うし、
むしろ、「一度良いと思ったアーチストをイヤになる自分はダメだ!すっとスキでい続けないと!」みたいに思っているほうがおかしいと思いませんか?
自分のスキ/キライなんて意識的にコントロールできないですから、「仕事がイヤになる自分はダメだ!」みたいに、気持ちが変わるのを責めること自体がおかしいというか、
逆に、自分の気持ちが変わるのを許さなかったら、「ますます自分なんてわからなく」なりますよね。
あ、で、今回はお話したような「自分のモノサシがない人」が、セラピーを受けた後って、
転職をする方もいらしたり、
「仕事をイヤだと思ってイイ」と認めたら、前よりは楽になって、「渋々働ける」ようになったりする方もいらしたり、
中には、イヤだったはずの仕事がスキになったりする方もいらしたりで、
その後は人それぞれなんですけど、その悩みが一段落して楽になった時って、
「こういう体験がなかったら私は変われなかった」
「こうでもしないと「自分」になれなかった」
みたいなことを言われるんですよ。
今回体験したツラさは、「自分のモノサシ」を得るためのイニシエーション(通過儀礼)だったみたいな。
で、最後はみなさん、口をそろえて、おなじみの、
「人生無駄がない」
って言われるんです。(笑)
この言葉を聞く時は、セラピスト冥利につきるのですが。
あ、で、こういうツラい体験をしたことで、ようやく「自分のモノサシを持った方」って、その後の人生、楽しいんですよ。
だって、「自分のモノサシ」で生きてイイんだもん!
そういえば、私も、「自分のモノサシ」を持ってから、この10年、ホント楽しかったもんなぁ。(シミジミ)
あ、ということで、これまでの人生ガンバってきて、はたから見れば優秀な方が、
「仕事がイヤになって辞めたくなった時」
って、その時はツライけど、長い目で見ると、
「自分のモノサシを持つための、入り口に立ってる時だったりしますよ」
てな話でしたとさ。
それでは今回はココまでにします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!