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「自分でい続ける」ということについてのアレコレ

自分と向き合う時間が、

長いあなたも
短いあなたも

こんにちは。

早朝なのに演歌を大声で歌いながら高速ウォーキングするおじいさんに遭遇し呆然となり杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、私、「やりたいことを見つけたい」というご相談を10年以上受けているんですけど、

「なんで人は、そんなにやりたいことを見つけたいのかな?」

って思うことは何度もあったんですよ。

そりゃ、「やりたいことあったほうが楽しいから」くらいのことはわかるけど、もっと根本的なことを知りたい感じがしてたんですね。

そしたら、ある時、このブログではおなじみの為末大さんのつぶやきを見て、すごく腑に落ちたんです。

 

人間は自我を持ち続けることに苦しさを覚えていて、だからほんの一時でも何かに夢中になれた後に幸福感を覚えるのではないか。
私でい続けることは苦しい。
夢中でいる間は私が消滅する。
つまり夢中とは、自らを省みる瞬間がない状態で、且つ対象に心が奪われている。
”している私”に気づいている状態は夢中ではない。

 

んー、この「私でい続けることは苦しい」ってとこ、なんかわかるんだよなぁ。

あ、もちろん、ここでの「私でい続ける」という意味は、「私らしくい続ける」とか言う意味ではなくて、

「私を意識し続けるのは苦しい」

って意味だと思うんですけど、

それがよくわかったのは、私、昔、仕事が決まらなくて、1年4ヶ月引きこもった時だったんですよ。

というのは、その時って、人とほとんど接してなかったですし、毎日やることがなくて時間があり余ってましたから、

イヤでも「自分自身にフォーカスしてしまう」というか、そういう時って、自分と内部対話し続けてしまうんですよね。

でも、そういう時の内部対話って、自分を責めるほうにいったり、先の不安とかばかり浮かんでくるじゃないですか。

元々、人って、「足りない部分」に意識が向きやすいですから。

なので、今にして思うと、その引きこもっていた頃の私って、まさに為末さんの言う、

「私でい続けることは苦しい」

って状態を味わってたんだと思うんです。

引きこもっていても、何かをやっていれば、自分以外のものにフォーカスする時間もあったかもしれないのに、

何もせず、ただひたすら自分と向き合っちゃった、みたいな。

なので、

「人は、自分と向き合い続けるのってツライんだな。だから、自分からフォーカスをずらすために、何かに夢中になりたいんだな」

っていうのは、感覚として、すごくわかるんですよね。

あ、なので、よく

「心が落ち込んだ時、散歩するといい」

なんて話があるのは、散歩すると、景色が移り変わっていきますから、意識を向ける対象が、

自分 → 目に見てくる景色やモノ

に変わるからなんですよ。
そうすると、「自分でい続けなく」ても、よくなるわけで。

あ、でも散歩しても、目に見てくる景色やモノを見ずに、内部対話し続けちゃう方もいらっしゃると思うんですけど、そういう方は、散歩というより、もう少し息が上がる運動したほうが良いと思うんです。

だって、たとえば登山をしている間って、息があがるので、

「ふぅ、息が苦しい」
「よし、ここを登ったら休もう!」

みたいなことは浮かんでくるけど、

「なんで自分はダメなんだ。ウォー!」

みたいなことを、登山中ずっと考え続けるのは難しくなりますよね。(笑)

要は、息が上がる運動すると、「自分の思考」にかまってられなくなるというか、強制的に自分からフォーカスがずれるわけですよ。

なので、よく仕事がつらくなった人が、マラソンとか、トライアスロンとか始めてみたら、元気を取り戻した、なんて話を聞くと、なるほどなと思うんです。

マラソンとか、トライアスロンとかの長時間息が上がるスポーツって、長時間、自分からフォーカスがずらせますよね。

 

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あ、で、そうそう、ちょっと話が飛ぶんですけど、この「自分でい続ける」って話ですけど、

先日、やりたいことをやって、充実した生活をおくっているAさんとお話した時、

そのAさんが、

「何がしたいかわからない」って言っている人って多いけど、そういう人は、一度、本当に追い込まれるいいと思う。
そんなこと言ってられなくなるし、イヤでも「行動」しないといけなくなるから。
でも、そうこうしているうちに、やりたいことも見えてくる」

なんて言っていて、

「たしかにそうだよな。私もそうだったし」

って思ったんですよ。

あ、このAさんも私も、現在に至るまで紆余曲折があったタイプで、たとえて言うなら、船が沈没して水中に放り出されて、もがいている状態の時って、

「んー、なんで自分てダメなんだろう」とか、悠長に自分と向き合っている余裕なんてなくて、(笑)

何かつかまるものがないかと、必死に水中で手を振り回すじゃないですか。

そんな時、その必死に振り回している手が、たまたま木材を掴んで、

その木材に必死につかまって揺られていたら、すごく居心地の良い船(やりたいこと)にたどり着けた、

そんな感じが、Aさんや私に起こったことなんだと思うんです。

なので、このAさん、

「よく 「どうしたらAさんみたいに行動できますか?」
みたいな質問を受けるだけど、そういう質問になんと答えていいかたいかわからなくて・・・。
結局、「やるしかない」としか言いようがない」

なんて言ってたんですけど、

Aさんにそういう質問をするのって、安全な陸にいる人が、船が沈没して水中に放り出されて、もがいたことがある人に、

「どうしたら、そんなに手を振り回せるようになるんですか?」

って聞いているようなものだと思うんですよ。(笑)

きっと水中に放り出されて、もがいたことがある人は、「そうするしかないでしょ!」って思うし、

でもその答えを聞いても、安全な陸にいる人にとっては、

「(陸にいるのに、水中に放り出されて、もがいている時みたいに)必死に手を振り回せ、なんて言われても無理でしょ!」

って思うと思うんですよね。

あ、なので、このAさんや私に起こったことというのは、もし先ほどの「自分でい続ける」という言葉使って言うなら、

「自分でい続けるヒマがないほど追い込まれたら、逆に行動できて、救われることもある」

なんて言えるし、このブログ的な言葉で言うなら、

「クマが走ってきたから、自分でい続けるどころではなくなった」

って言えば良いでしょうか。

 

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あ、で、話がいろいろ飛んでしまいしたが、

私、この「自分でい続ける」って、おでんに付いてくるカラシみたいに、「適量」があるなって思うんですよ。

毎日バタバタしすぎて、自分を振り返る時間がないという方には、だんだん自分のことが訳わからなくなってくるので、

「自分でい続ける時間」というのは人生を豊かにすると思うし、

でも、過去の引きこもっていた頃の私のように、時間がありあまっている人は、「自分でい続ける時間」は、逆にツラくなるんでしょうね。
カラシに覆われたおでんを食べるみたいに。(笑)

 

さぁ、ということで、今、悩んでいるあなた、

あなたは、「自分でい続ける時間」が短すぎてツライのでしょうか?
それとも、「自分でい続ける時間」が長すぎてツライのでしょうか?

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

杉田 隆史

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