感情は必ずしも行動と結びついていなくても良い。でもできるだけ感情に気付くことが重要だ

部屋が

片づいているあなたも
あまり片づいていないあなたも

こんにちは。

服の袖が味噌スープにつかり杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、セラピーをしていると、クライアントさんが自分の悩みをうまく説明できないことってあるんですよ。

たとえばこんな感じです。
(「ク」はクライアントさん、「杉」は杉田)

 

杉 「今日はどんな悩みを取り扱いたいですか?」

ク 「んー、悩み・・・なんでしょうね・・・
いつもいろいろ悩んでいるような気がするんですが・・・
悩み・・・・・あ、部屋が散らかっていること。
部屋が散らかっているのに、片づけられないんです。
そんな自分をいつも責めて・・・」

杉 「どうでしょう、部屋の片づけって、本当にやりたいですか?」

ク 「いや、やりたくはないですけど・・・」

杉 「『やりたくないことが、やれない』というのは、自然というか、
健全な反応のように思うのですが・・・」

ク 「ですよね(笑)」

 

こんな感じで、悩みがうまく説明できないクライアントさんが、とりあえずということで、

「部屋の片づけができない」

って言われることって、結構多いんですよね。

あ、で、この「部屋の片づけ」に関して、私自身のことをお話しすると、私、キレイ好きってことはないですけど、そんなに散らかしたりはしないんです。

でもそれは、片づいていることが

「正しいから」
「そうすべきだから」
「世の中の常識だから」

片づけているのではなくて、

片づいているほうが「気持ちがイイから」 ← 体の感覚

片づけているんですよ。

別に掃除はスキじゃないですけど、それ以上に雑然とした感じがイヤなんですね。

でももし私が、「部屋が散らかっているほうが気持ちイイ」のなら、「散らかっている」ことを悩むこともなく、平然と「散らかったまま」にするし、そういう自分も否定しないと思うんです。

ということは、この話って本当は、

「部屋が散らかっていること」が悩みなのではなくて、
「部屋が散らかっていること」を「否定していること」が悩み

なんですよね。

あ、つまり、「悩み」って、

「できないこと」が悩みなのではなくて、できないことを「否定していること」が悩み

ってことになるんですよ。

なので、先ほどのようなクライアントさんに、

「部屋が散らかっている以外にも、やれなくて、自分を責めることってありますか?」

みたいにお聞きすると、「自分を否定するの大スキ!」みたいな人が多くて、(笑)

「休日をダラダラ過ごしてしまって自分を責める」とか、

「スキだと思ってはじめた○○の勉強がガンバれなくて、なんでこれしかできないんだと自分を責める」とか、

「人と会った後、なんでもっと明るく話せなかったんだろうと自分を責める」とか、

他にも日常の多くの場面で、いつも自分を責めているんですよね。

となると、この人が最初に言われた、「部屋が散らかっている」というのは、この人の「悩みの象徴」のような意味で言っていて、もっと大きなまとまりとして見ると、

「自分でやろうと思ったことができなくて、いつも自分を責めて、落ち込む」

ということが、「本当にセラピーで扱いたい悩み」だったりするんですよね。

 

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あ、で、今回のブログなんですが、そんな

「自分がやろうと思ったことができなくて、いつも自分を責めて、落ち込んでいる人」

にお伝えしたい言葉があるんです。

それがちょっと長い今回のブログタイトル、

感情は必ずしも行動と結びついていなくても良い。でもできるだけ感情に気付くことが重要だ。

って言葉なんですよ。

あ、で、この言葉をもうちょっとご説明させていただくと、要は、「やろうと思ったことができなくて、いつも自分を責めて、落ち込んでいる人」って、

「自分が「やりたくない」と思っていることに気づいていない」

ですよね。

だって、人は何だかんだ言って、

「やっていることは、やりたいこと。やっていないことは、やりたくないこと」

ですから、

たとえば、「部屋を片づけられない」ということであれば、

「片づけたいけど、大変だから(めんどくさいから)やらないほうがマシだ。
だから私は、片づけないという選択をしています」

という状態なのに、

そういう自分の中にある「片づけたくない」という感情の存在を認めたくないわけですよ。

でもこのブログでは何度も言っていることですが、

自分の中にある「感情の存在を否定すること」って、全然良いことではなく、むしろ逆効果になって、かえって悩みが解決しなくなることが多いんですよね。
「よけい、やりたくなくなっちゃう」んです。

(その理由についてはコチラからどうぞ)

「自分を大切にする」ということ

 

なので、自分がやろうと思ったことが、やれなかったとしても、

「あー、自分は思ったより、やりたくないんだなぁ」

って、まずはいったんその感情を認めちゃうほうが良かったりするんですよね。

でもですね、こういう話をすると、こんなこと言う人がいらっしゃるんですよ。

「でもそんなふうに認めちゃったら、部屋の片づけしなくなっちゃいませんか?それでもいいんですか?」

もちろんそれでいいかどうかは、あなたが決めることなのですが(笑)、あなたがイヤなら、片づけなくてもいいわけですよね。それはあなたの自由。

ただ、

(1)自分の「部屋を片付けたくない」という感情には気づいたうえで、

(2)「それでも片づけるのか(渋々やる力)」 or 「だから片づけしないのか」は、「自分が決められる」

と思っている人(Aタイプ)と、

(1)自分の 「部屋を片付けたくない」という感情を無視して(「ヤル気ない私なんて許せない! )

(2) 「部屋を片付ける」のが、世の中的に正しいことであって、片づけるか、片づけないかは、「自分が決められない」(「私は片づけないといけない!」)

と思っている人(Bタイプ)とでは、

結果同じ「片づける」を選ぶにせよ、「片づけない」を選ぶにせよ、「心の楽さは全然違ってくる」んですよね。

これをもう1つ例を使ってご説明すると、たとえば、あなたが満員電車に乗るのがキライだとしますよ。でも乗らないと会社に行けない。

そんな時、Aタイプなら、

「満員電車乗るのがイヤだけど、乗らないとメンドクサイことになるから、まぁ乗ってやるか」

みたいになるし、

Bタイプなら、

「満員電車がイヤなんてあり得ない!乗る気出さなきゃ!満員電車に乗るのが社会の常識だし」

みたいな感じでしょうか。

この「満員電車乗る気出す!」って、おかしいでしょ?(笑)

でも、「やりたくないことを、ヤル気にならなきゃ!」と思っている人って、それと同じことを自分にやってるんですよね。

ね、ここまでくると、先ほどご紹介した、

感情は必ずしも行動と結びついていなくても良い。でもできるだけ感情に気付くことが重要だ

って素晴らしい言葉だって気づくでしょ?

 

それでは今回はココまでにします。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

杉田 隆史

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