Categories: 自信がない

少年少女のような高揚

少年少女のような心を

持っているあなたも
持っていないあなたも

こんにちは。

オーストラリアで身も心もたるみ杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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セラピーをしていると、

「いつも怖がってばかりで、仕事とか、恋愛とか、遊びとかで、同世代がやってきて当然のことをやれなかった」

なんて、後悔している方って結構いらっしゃるんですね。
「今さらやるのは・・・」なんてモジモジしているんです。

今回のブログは、そんな方のためにお話したいと思います。

 

えーと、NHKで「坂の上の雲」っていう番組が放送されたことあるんですけど、ご覧になった方いらっしゃいますか?

私は毎回楽しみに観ていたのですが、一番スキなのは、オープニングの渡辺 謙さんによるナレーションだったんです。

ちょっと長いのですが、以下にその一部をご紹介しますね。

 

まことに小さな国が,開化期を迎えようとしている。

「小さな」といえば,明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。

産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。

明治維新によって日本人は、初めて近代的な「国家」というものを持った。
誰もが「国民」になった。

不慣れながら「国民」になった日本人たちは,日本史上の最初の体験者として,その新鮮さに昂揚した。

この痛々しいばかりの高揚が分からなければ,この段階の歴史は分からない。

社会のどういう階層の,どういう家の子でも,ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば,博士にも,官吏にも,軍人にも,教師にも成り得た。

この時代の明るさは,こういう楽天主義から来ている。

今から思えば,実に滑稽なことに,コメと絹の他に主要産業のない国家の連中は,ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした、陸軍も同様である。
財政の成り立つはずがない。

が,ともかくも近代国家を作り上げようというのは,元々維新成立の大目的であったし,維新後の新国民の少年のような希望であった。

 

私、このナレーションを聞いた時ですね、

この当時の日本人が、はじめて「国民」となり、今では当たり前の

「身分に関係なくどんな職業にも就ける!」

なんてことがわかった時の高揚感と、

悩みとうまく付き合えなくて、20年間低空飛行していた私が、心理セラピーのおかげで自分の人生を取り戻し、

「こ、これが人生なのか!」

と、はじめて感じた時の高揚感が、勝手ながらダブってしまったんですよ。

もしかしたら、他から見ればもっと前に経験していて当たり前のことを、

「いい齢してはじめて味わった高揚感」

とでもいうのでしょうか。

あっ、この「いい齢してはじめて味わった高揚感」ということで、私がパッと思い浮かぶのがですね、20歳の時、生まれてはじめての海外に行った時のことなんですよ。

私がはじめて行った海外の都市は、乗り継ぎのために立ち寄った旧ソ連時代のモスクワだったのですが、

よりによって当時のモスクワは、ゴルバチョフ失脚クーデターの真っ最中で、空港には、マシンガン持った兵士とか、重装備の兵がたくさんいて、ホント、どうなっちゃうのかと思ったんですよね。

というのは、私、飛行機の乗り継ぎのため、モスクワに1泊しなくてはならなかったんです。

それで、ソ連側にパスポートを取られた状態で、航空会社によって見知らぬホテルに連行?されるんですけど、ホテルで全然知らない人と相部屋になって一晩明かさないといけないんですよ。

今にして思うと、すごいシステムですよね。(笑)

で、私は見知らぬスウェーデン人のおじさんと相部屋にさせられて、ツインの部屋に行かされたんですけど、お互いどうしていいかわからず、5分くらい無言でモジモジしていたんですね。(笑)

でも、その沈黙に居たたまれなくなくなった私は、

「ワ、ワ、ワットタイム イズ イット ナウ イン モスクワ?」

と思わず話しちゃったんです。
(正確には、「モスクワ」じゃなくて、「モスコー」のように発音しないとけない)

これが、私が、生まれてはじめて実践で英語を使い、外国人と話した瞬間でした。

そして、その後、気がつけば、そのスウェーデン人のおじさんと部屋で一緒にビールを飲んでいたんです。(笑)

でも、この体験、すごく新鮮でうれしかったんですよ!
人生の新しい扉が開いて、なにか希望を持てたような気がしたんです。

その時の私が感じたものこそ、「坂の上の雲」のナレーションの

「その新鮮さに高揚した」
「この痛々しいばかりの高揚」
「少年のような希望だった」

瞬間であり、

「いい齢してはじめて<外国人と話す><英語を話す>ということを味わった高揚感」

だったと思うんです。

日本語で、人に「今、何時ですか?」なんて聞くのは、カンタンですよね。

でも一度も外国人と話したことない人が、英語でそれを聞くとなると話は全然違ってくる。

海外に行く楽しさというは、そのように、

「普段なら当たり前にできることが、できなくなること」

ではないかと思うんです。

物を1つ買うにしても、「言葉通じるかな」とか、「お金ちゃんと払えるかな」とか、いちいち心配しないといけない。

子供の頃に、はじめて「お使い」に行った時のように。

だから、それができた時に大きな喜びを感じるのかと。
自分が忘れていた「はじめて」の感覚が蘇るんでしょうね。

だから、留学って、若い世代よりも、50代とか、ある程度年齢を重ねた方がはじめて行くと、「ものすごく感動する」という話を聞いたことがあります。

日常のだいたいのことが当たり前のようにできる人が、突然何もできない「少年少女に」戻れるからなのでしょう。

 

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と、今回は話がかなり遠回りして、自分でも何を言っているのかわからなくなっているのですが、(笑)

「いつも怖がってばかりで、仕事とか、恋愛とか、遊びとかで、同世代がやってきて当然のことをやれなかった」

なんて悩んでる人に、私がお伝えしたいことは、

「今さらやってももう遅い」とか、
「今さらやっても仕方ない」ではなく、

「今さらやるから感動する!」
「今さらやるからおもしろい!」

ってことなんです。

いい齢してはじめて職に就くとか、
いい齢してはじめてアルバイトするとか、

いい齢してはじめて友人ができるとか、
いい齢してはじめて異性と手をつないだとか、

いい齢してはじめて1人で旅行に行くとか、
いい齢してはじめて1人暮らしするとか、

いい齢してはじめて人を信用できたとか、
いい齢してはじめて将来に希望を持てたとか、

そんなことができた時、

「同世代がやるべきことをやれなかった」あなたは、少年少女に戻るんですよ。

そして、「その新鮮さに高揚」するでしょう。

その後の人生に、「少年少女のような夢」を抱くでしょう。

「この痛々しいばかりの昂揚」は、それがするのが当たり前の人には、わからないんだろうなぁ。

思えば私も「やってないことだらけ」の人生でしたから、この数年は、よく少年のような高揚感に打ち震えましたよ。

はじめて私の可能性を信じてくれる人がいると気づいた時、はじめて心理セラピストを仕事としてやっていけると思った時、1人号泣したなぁ。

他の人には当たり前かもしれないけど、「この仕事をやっていける!」なんて思えたこと、それまでなかったもんなぁ。

その時の私も、きっと少年に戻っていたでしょうね。
いや、青年くらいかな。(笑)

 

ということで、

「同世代がやるべきことをやれなかった」と後悔してるあなた、

いい齢だから冒険に出よう!

少年少女のような高揚を味わおう!

YOU やっちゃいなよ!(笑)

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

杉田 隆史

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