Categories: 虚しい

「さみしい」との付き合い方

「さみしい」と

よく感じるあなたも
あまり感じないあなたも

こんにちは。

私が出張から家に帰ってきた途端、空気清浄機が激しく動き杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

スポンサーリンク

 

えーと、ちょっと前の話になるんですけど、私、今年6月に北海道でワークショップを開催したんですね。

で、このワークショップ、私には、いろいろと感慨深いワークショップで、その理由の1つは、初の「現地主導開催」というか、北海道にお住まいのMさんを中心に、

「杉田さんを北海道に呼ぼう!」

なんて盛り上がって、私を呼んでくださったんですよ。

で、フタを開けてみれば、参加者の方は、北海道の方だけでなく、なぜか北陸、東海、関東、関西、九州からも私が昔から知っているクライアントさんたちが集まっていて、

まるで、「同窓会旅行」みたいな感じだったんですね。

しかも、その方たち、私が最初にお会いした時とは違って、すごく成長して姿であらわれたので、

「最初お会いした時は、死んでしまいそうな方も多かったのに、みんな、元気になったなぁ。私も仕事をここまで積み上げてこれたんだな」

って、なんかいろいろな意味で感慨深かったんですよね。

 

スポンサーリンク

 

あ、で、その北海道開催のために暗躍(笑)してくださったMさんから、ワークショップ終了後、フェイスブックの

「Cafe LOSER in 北海道」に掲示板にコメントをいただいてたんですけど、そのコメントを、このブログで紹介しよう、しようと思っていたのに、タイミングを逃していたので、

今回の記事は、そのMさんのコメントをご紹介しつつ、いつも通りダラダラお話ししたいと思います。

それでは以下が、Mさんのコメントです。
(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

 

フォーカシングWS後の変化について。
【Cafe LOSER in 北海道限定公開】
<長文注意。おヒマな時にどうぞ>

どもです。Mです。

フォーカシングWS in 北海道から3週間ほどたちましたが、
参加された方々、みなさんいかがお過ごしですか。

私は…終わった直後からなーんか、さみしくてねえ笑。
「さみしいなあ」「さみしいなあ」なんて思ってたんですよ。

今までだと、WSと懇親会でかもし出された高揚感を
そのまま持って帰って、もう楽しくてうれしくて、
そのテンションのまましばらく過ごしてたんですよね。

今回ももちろん最中は楽しくてうれしかったのですけど、
「さみしい」は今までなかったなあ、と気づいて。
で、またこの「さみしい」、悪い感じでもないんです。
楽しかったから、うれしかったから、
そしたらその分、それが終わったら
「さみしい」のは悪くない感じなんです。

そもそもどうして私が、
今回のWSのオーガナイズをすることになったかを整理してみると、
北海道杉チルさんの間で「杉田さんを呼びたい!」
と盛り上がってたのがきっかけですけど、

個人的に言うと、私自身がフォーカシング大好きで
杉田さんのWSをもう一度受けたい!のと、
親しくなった北海道杉チルさんと
その大好きなフォーカシングを一緒に受けたい!というのと、
道外の杉チルさんと再会できるかも!
もしかして新たな杉チルさんも参加してくれるかも!
というのが話が膨らんでいく流れの中でありまして。

結果的に全部かなってしまいました。おかげさまで。
だからこそ「さみしい」なんですよ。きっとねえ。

ところで、ここ最近知り合った方は
意外に思われるのかもしれませんが、
そもそも私って誘われ待ちの人だったんです。
自分から誘うなんてとんでもない。
誘ってもらっても「いいのかな?いいのかな?」
と思いながら参加しているそんな人。
自己肯定感、あからさまに低かったです。

3年半前のはじめての杉田さんのWSのときも、
パッと見渡すと若い人ばかりで、
「無職の主婦なんて私だけだろうなあ」とか思って
勝手に引け目を感じて縮み上がってましたしねえ。
あー懐かしい。

今はっていうと、
やっぱり新しい人間関係に飛び込むときビビッてますし、
自分から動けないんで、
実はあんまり変わってないんですね笑。

そんな中でも3年半で何が変わったかを考えてみると、
「ビビッてても手を挙げる」
「ビビッてても声を出す」ができるようになったことかなあ。
かっこ悪くても行動した自分に
OKが出せるようになってきたというか。

自分自身はそんなに変わんなくても、
行動を変えることがちょっとできてきた、
そんだけと言えばそんだけなんですよ。

あとね、杉田さんと杉チルさんへの信頼ですね。
なんせイイ人しか集まらないですから!笑
失敗しても怖くないってわかってるからですね。

WSの準備のためにFacebookに告知してみたり、
会場や懇親会会場を押さえたりと
行動している間はまったく自覚してなかったんですけど、
いつのまにかそういう行動スキルが身についていたようです。

で、「さみしいなあ」と感じている○○は
その感情に対してどう対応するかって言うと、
「また誘えばいいんだ!」って思ったんですね笑

集まらなかったらまた日付をずらして誘えばいいや!ってね、
要は味を占めたんですねえ\(^o^)/

思えば、私、この「さみしい」をずっと押し殺してきた気がします。
元々ひとりで過ごすのが好きで、
ひとりの時間が必要な人ではあるのだろうと思いますが、
だけど、じゃあ、「さみしくない」かっていったら違うんですよね。

自分から動けないと「さみしい」は重く辛いです。
でも、自分から動ければ「さみしい」は原動力になりえます。
だから「さみしい」は悪くないんです。

あ、そういうことか。そかそか。
リアルタイムで腑に落ちました。
今回のフォーカシングWSのあとの、遅れてきた気づきでした。

 

あ、私、このMさんのコメントの

自分から動けないと「さみしい」は重く辛いです。
でも、自分から動ければ「さみしい」は原動力になりえます。
だから「さみしい」は悪くないんです。

って部分を読んだ時、なんかすごく「そうだよなぁ」って思ったんです。

というのは、私、自分の人生を振り返ってみると、ホント、「さみしい」って感じることが多かったんですよ。

でも、ある時期までの私は、自分の中にある「さみしい」とどう付き合っていいかわからなくて、

「自分が連絡すれば、まぁ相手は会ってはくれるとは思うけど、本当は家族と過ごしたいと思っている相手には迷惑だよな」

とか思って、ただただ、「さみしい」をガマンしたり、

お酒飲んで、「さみしい」を感じないようにごまかしてたと思うんです。

なので、

>自分から動けないと「さみしい」は重く辛いです。

って、ホントその通りだったなって思うんですよね。

でも、私もある時期から、この「さみしい」との付き合い方を変えたというか、さみしい時、ちょっと素直になって、「人を求める」ようにしたんですね。

あ、なんというか、人って、欲しいモノが手に入らない時、「自分にウソをつく」ことってあるじゃないですか。

たとえば、本当は、「親しい人」とか、「パートナー」を求めているのに、それが手に入らないって時、

「他人に興味がない」
「パートナーとか別にいらない」

みたいに興味ないフリをして、自分が傷つかないようにするというか。

(↑フェイスブックにそういう「興味ないフリ投稿」ばかりしている人を見ると、本当はすごく興味あるんだなって思って見てます 笑)

でも、そうやって自分にウソをつくと、「自分がそのウソを信じてしまう」こともあるというか、

どんどん人を求めないほうに自分がいっちゃたりするんですよね。
で、ますます、自分で自分を「さみしい」にしちゃうというか。

前の私には、そういうとこもあったなぁって思うんです。

(そのあたりの話はコチラからどうぞ)
本当は人とつながりたいのに、「やりたいこと探し」をしちゃう人

 

あ、で、今回お伝えしたいことなんですけど、

「ちゃんと落ち込もう!」

ってことです。

「本当は落ち込んでいるのに、落ち込んでいないフリをする」
「本当は傷ついているのに、傷ついていないフリをする」
「本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫なフリをする」
「本当は求めているのに、求めていないフリをする」

みたいにして自分の気持ちをごまかすと、傷に触れなくてすむので、「ちょっとの間は楽になる」というメリットはあるかもしれないけど、

人は、「苦痛によって動く」という一面もありますから、苦痛がなくなると、逆に、

「変化しなくなる」

んですよね。

ちゃんと落ちこんで苦痛を味わわないと、

「今のままでいるのもうイヤだ!」

って気持ちにもなれないから、変わろうと思えないんですよ。

 

なので、私の「さみしい」のように、自分の気持ちをごまかして苦痛を軽減しているつもりが、逆に、「長年ツラい」みたいな状態になっている時は、

むしろ、「ごまかさずに、ちゃんと落ち込んで、自分の心に素直に行動するって時がきてる」んじゃないかなって。

なので、私、このMさんが言っている、

自分から動けないと「さみしい」は重く辛いです。
でも、自分から動ければ「さみしい」は原動力になりえます。
だから「さみしい」は悪くないんです。

って言葉を見た時、言われてみれば、すごい当たり前のことなんですけど、

「そーか、そーか、「さみしい」があっても、オレ、全然自分から動いてなかったもんな。

だから苦しかったのか。
でも、「さみしい」をごまかさずに感じて、それを原動力にして行動したから抜け出せたんだな」

って気づいたんですね。

 

スポンサーリンク

 

あ、ということで、最後にまとめますと、

今、「さみしい」があってツライあなた、

自分から動けないと「さみしい」は重く辛いです。

なので、

ごまかさずに、ちゃんと「さみしい」を感じて、それを原動力にして、人を求めましょうね、

って話でしたとさ。

エッ、「求める人が誰もいない」ですって?

あ、そんな方のために私のような職業があると思っているので、そういう時は、ちょっと「よっこいしょ」になるけど、最初 の1、2歩は、「自分から動いて」みてくださいね。

 

さあ、あなたはどうでしょう?

あなたの「さみしい」は、自分から動かない「さみしい」になっていませんか?

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

 

杉田 隆史

Recent Posts

探しているうちは、見つからない

自分の「やりたいこと」を 探し…

6日 ago

たとえ親がわかってくれなくても

「親は、自分のことをわかってく…

2週間 ago

その時、あなたが感じたものがすべて

今、悩みが あるあなたも あま…

4週間 ago

子供は親に無条件の愛を持っている

自分の親のことが 好きなあなた…

1か月 ago

自分との約束を破るということ

「やるやる詐欺」を よくやるあ…

1か月 ago