今、自分がやりたいことを感じる

今、このブログを

読んでいるあなたも
読んでいないあなたも(←?)

こんにちは。

電車で知らない子供に鼻の穴を覗き込まれ杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、セラピーをしていると、

「趣味を持ちたいと思って、○○をはじめてみたんですけど、本当にやりたいのか、やりたくないのか、わからなくなってきました。
自分の「やりたい」という感覚がよくわかりません」

みたいなご相談って、けっこうお受けするんですね。

で、私、そういう方が来られた時って、こんな感じのやり取りをすることがあるんですよ。

(「ク」は、クライアントさん、「杉」は、杉田)

 

杉 「さきほど、○○さんは、
「杉田さんのブログを読んだら止まらなくなった」
なんて言っておられましたけど、それって「読みたいか、読みたくないかわからない」みたいな感じ読んでいたのですか?」

ク 「いえ、読みたくて読んでました」

杉 「そういうのが、「やりたい」って感覚なのですが・・・」

ク 「あ・・・」

 

こんな感じでお話すると、クライアントさん、ちゃんと自分の中の「やりたい」って感覚に気づくんですよ。

なので、「自分の「やりたい」という感覚がよくわからない」なんて言っている方も、本当は「やりたい」って感覚をわかってたりするんですね。

ということで、最近、私、気づいたのは、そういう方が、

「自分の「やりたい」という感覚がよくわからない」

って悩んでいる理由の1つに、

「「やりたい」という気持ちを、無理やり「枠」の中に入れようとするから、わからなくなるんじゃないか」

ってこともあると思ったんです。

要は、「やりたい!」って気持ちって、何が対象になってもおかしくないものですよね。

ある人は、「ライブに行きたい!」
ある人は、「自然にふれたい!」
ある人は、「イギリス行きたい!」

みたいに。

そんなふうに、「やりたい」対象になり得るものは無限にあるのに、最初から「趣味」とか、「仕事」とか、無理やり「枠」を決めて、

その「枠」の中で「やりたい」を探そうとするのって、ある種の不自然さがあると思うんですよ。

それって、嵐(アイドル)のニノが大スキな人に、「EXILEの中で、ニノと同じくらい大スキな人を見つけて!」って言われても困るのと同じというか。(笑)

あ、なんか「たとえ」が悪いか。(笑)

でも、「枠」を決められると、その中で、「スキ」とか、「やりたい」を見つけるって、とたんに難しくなりますよね。

ニノを大スキになった人だって、

「よし!アイドル(という「枠」)の中から誰かスキになるぞ!」

とか思ってスキになったわけじゃないと思うんですよ。

 

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あ、ということで、冒頭でお話した、

「趣味を持ちたいと思って、○○をはじめてみたんですけど、本当にやりたいのか、やりたくないのか、わからなくなってきました。
自分の「やりたい」という感覚がよくわかりません」

と言う方って、

「趣味」という枠の中で、無理やり「やりたいこと」を探そうとするから、なんかピンとこないんだと思うんですね。

でも、そういう方だって、たとえば「ブログを読みたい!」みたいな「やりたい」っていう感覚があるのに、なんでそっちは無視しちゃうのかなって。

あ、で、そうなると、「自分の「やりたい」という感覚がよくわからない」って悩んでいる方って、どうしたらいいか?

って話になると思うんですけど、

私は、「ブログを読みたい!」みたいな、

「自分の「小さなやりたい」って感覚を大切にする」

ってことだと思います。

具体的には、スキあらば、

「今、自分は何をしたいか?」ってことを感じてみるとイイというか。

あ、あなたは今、どうでしょう?

本当にこのブログを読みたくて読んでますか?
もっと他にしたいことはないですか?

「本当は寝たい」とか、
「お腹減ったから、なんか食べたい」とか、
「遊びに行きたい」とか、

あるかもしれませんよ。

それから、「やりたい」という感覚と同じくらい、「やりたくない」っていう感覚も大事ですからね。

私、「やりたくないことをしない」って、「やりたいことをする」と同じことだと思ってますから。

あ、もし、あなたが、「今の自分は何をしたいか?」が感じづらいなら、

「今日、自分は何をしたいか?」
「今週、自分は何をしたいか?」

など、ちょっと「時間の幅」を広げてみると良いかもしれませんよ。

で、そうやって、

「今の自分が何をしたいか?」

といった、「小さなやりたい」っていう感覚を感じて身を任せていく先に、もしかすると、「仕事」とか「趣味」とかの「枠」に入る「やりたいこと」に行き着くこともあると思うんですね。

なので、私、「やりたいことがわかっている人」って、何も特別な人なわけではなく、

「ただ、そういう自分の「小さなやりたい」って感覚を大切にしている人」

なんだと思うんですよ。

逆に言えば、そういう、

「今、自分は何をしたいか?」
「今日、自分は何をしたいか?」
「今週、自分は何をしたいか?」

といった、「小さなやりたい」って感覚がわからないって人が、いきなり、

「やりたい仕事」
「やりたい趣味」

とか考えたって、わからないと思うんです。

 

エッ、「でも、ここまでの話を聞いても、やっぱり自分の「やりたい」という感覚がよくわからない」ですって?

んー、そういう方って、「自分と他人の境界線」が壊れているんですよね。

たいてい子供の頃、親の気持ちに忖度しすぎていたり、親の指示に従っていた方が多くて、当たり前のように、

「他人(親)の考え・望み」が「自分の考え・望み」

みたいになっちゃってるんですよ。

その辺りは、本人が「無意識に」やっちゃってることだから、なかなか自分で変えるのがむずかしい部分なので、

自分だけでがんばってどうにもならない方は、専門家に頼ってくださいねー。

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

杉田 隆史

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