「やりたいこと」に対する思い込み

高尾山に

登ったことのあるあなたも
登ったことのないあなたも

こんにちは。

電車のアミ棚に載っている誰かのカバンからペットボトルのウーロン茶のしずくが垂れ杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、いきなりですが、私、好奇心がないんですよ。(笑)

なので私、新しいことに挑戦するとかにも、あまり興味がないんですよね。

でも、そんな私が、最近、突然、高尾山に登り始めたんですよ。

(高尾山についてはコチラからどうぞ)
高尾山公式ホームページ

自分の足で山に登るが、中学生以来だったのに、6週連続で高尾山に登っているんです。

しかも20日間連続で仕事があったのに、その合間をぬってなんですよ。

さすがにこれは、ちょっとおかしいんじゃないかと。(笑)

で、私、フと思ったんですね。

なんで、こんなに好奇心もなく、新しいことをはじめるのにも腰のヘビーな私が、人からすすめられてもいないのに、突然、高尾山に登りはじめたのかと。

これ、考えてみたんですけど、本当に、「なんとなく」なんですよ。

「ジムが休みの日に、楽に運動できる方法ないかなぁ。
あっ、山とか登ってみようかなぁ、そういえば、高尾山ってあったなぁ。
いっぺん登ってみようかな・・・」

そんなことがフと心に浮かんだんです。

そしたら、そうは思っても、結局めんどくさがって登らないと思いきや、気が付けば、6週連続で登っていたんです。(笑)
しかも来週もまだ行こうとしているし。

でもこれ、無理したり、ガンバってやっているわけじゃないんですよ。

 

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で、この話から何をお伝えしたいかというとですね、

「やりたいこと」、「スキなこと」、「楽しいこと」って、

「意識して探さなくてもわかる」
「頭で考えなくてもわかる」
「ガンバらなくても、いつの間にかやっている」

ってことなんですよ。
今回、私自身もそれを改めて強く感じたんです。

私、基本「何もしないこと」がスキだし、あまり自然の中にも行かない人間なので、

まわりの友人からは、「週1で高尾山に登っている」なんて言うと、「お前、何があったんだ!」と心配されますからね。(笑)

でも、なぜか無意識(体)は、自分のやりたいことを、ちゃんと知っているんですよね。

あっ、そうそう、私、セラピーに来られる方からよく、

「どうしたらやりたいことがわかりますか?」

みたいなこと聞かれることが多いんですけど、これもやっぱり、「私の高尾山のような感じ」なんですよ。

わかる時は、自然とわかるというか、頭であーだこーだ考えることではないんですよね。
なんとなく自然にやっちゃう。

そういうことがわかっていると、フと思うのは、

多くの人が「やりたいこと」を頭で考えてばかりで、結局わからなくなってしまう原因の1つは、

みなさんが「やりたいこと」に対して、たくさんの「根拠のない思い込み」を持っているから

のような気がするんですよ。

たとえば、

「やりたいことは、仕事になるもののはずだ!」
「やりたいことは、一生できるもののはずだ!」

なんて思い込んでいる人が多いですけど、
そんなこと全然決まってないと思うんですよね。

だって、もし私よりも、高尾山に登るのが、もっともっと大スキな人がいたとしますよ。

でも、その人が高尾山に登ることが、仕事になりそうもないからって、

「高尾山に登ることは仕事にならないから、やりたいことではない」

ってことではないと思うんですよ。
たとえ仕事にならなくても、「やりたいことは、やりたいこと」じゃないですか。

だから、「やりたいことが仕事になる」なんて、全然決まってないですよね。

それなのに、なんで「やりたいことは仕事になるもののはずだ!」と思い込んでいる人が多いのかなと。

また、「やりたいことは、一生できるもののはずだ!」だって、これもどうかわからないと思うんですね。

だって人って、気が変わるのが自然じゃないですか。

私、心理セラピストという仕事が天職かなと思っていますけど、その気持ちが変わらないとか、一生やっていくかについては、

「そんな先のことわからない」と思っているんです。
だって、突然、高尾山登りはじめるようなこともあるわけでしょ。(笑)

それに「この人と一生やっていく!」と思って結婚しても、今の日本は3組に1組が離婚しているわけじゃないですか。(笑)

そんな仕事以上に大切ともいえる結婚でさえ、一生続くかわからないのに、なんで「やりたいことは、一生できるもののはずだ!」と思えるのかなと。

ということで、人は自分のやりたいことに対して、「こう思いたい」という、思い込みがあるから、

自分をストレートに見ることができなくて、よけいに「やりたこと」がわからなくなっていると思うんですよ。

もし、「自分の本当のやりたいこと」が、「家のリビングでネコをなでているような、安心できる生活」の人が、

「やりたいことは、仕事になるもののはずだ!」
「やりたいことは、一生できるもののはずだ!」

「やりたいことは、自分にしかできないもののはずだ!」
「やりたいことは、人からスゴイと言われるもののはずだ!」

「やりたいことは、他の人がやってないようなもののはずだ!」
「やりたいことは、専門的なもののはずだ!」

「やりたいことは、バリバリやるもののはずだ!」
「やりたいことは、いつもワクワクしているもののはずだ!」

のような思い込みをしていたら、

「ネコをなでていることがやりたいこと」なんて、絶対認めたくないと思うんですよ。(笑)本当は大スキでも。

そういう人は、「何がしたいかわからない」って言ってしまうんでしょうね。
そんな自分を認めたくないから。

でも、最近思うのは、人が幸せになるのは、自分の「心のまま」を、そのままの大きさで「自分の外の世界で再現できること」だと思うんですよ。

たとえば、もし「やりたい度」みたいなものが存在するなら、私が「高尾山に登る」ということが、「10段階中4」だとしますよ。

私の心がそれだけやりたいと思っている。

だとしたら、「自分の外の世界」で、高尾山に登ることが、「10段階中4」で再現されていればいいんですよ。

そういう意味では、今の私は、週1回、高尾山に登るのが、ちょうどよい「やりたい度」が再現されているような気がするんです。

でも、高尾山に登る「やりたい度」を、10段階中8だと勘違いして、「自分の外の世界」でそれを再現しようとしたら、

「もっと頻度を上げて、高尾山に登らなきゃ」とか、
「もっと高尾山にある店にも行ってみないと」とか、
「もっと高尾山の動植物を詳しく調べなきゃ」とか、

どこかヘンな動きをしようとすると思うんですよ。
別にそんなことしたくないのに。

それって、自分の「心」と「自分の外の世界」の「やりたい度」が一致していないから、どこか違和感を感じるはずなんですね。

だからあまり楽しくなくなっちゃう。

実はこういうことって、人にはよく起きていて、

「やりたいことは、自分にしかできないもののはずだ!」
「やりたいことは、人からスゴイと言われるもののはずだ!」
「やりたいことは、他の人がやってないようなもののはずだ!」
「やりたいことは、専門的なもののはずだ!」

そんな根拠のないを思い込みをしている人は、この「やりたい度」を勘違いしやすい傾向があるわけで、

「今の仕事をやめて、スキな仕事をしたい」のやりたい度が10段階中1なのに、それを「10段階中9」だと思おうとしたり、

「英語の勉強したい」のやりたい度が10段階中0.1なのに、それを「10段階中8」だと思おうとしたり、

そんなことやって、「やりたいのにできない!」なんて、悩んでばかりいるんですよね。(だって本当はそこまでやりたくないんだもん)

もちろん、この「やりたい度」は変動するわけで、

たとえば、私、高尾山に登りたいが、「10段階中4」から「10段階中6」に変わったら、

その心の「やりたい度」の大きさを「自分の外の世界」で再現すればいいわけですよ。

もしそうなったら、週2で高尾山に登ったりするかも。(笑)

もし「10段階中1」とかに下がったら、1年に1回しか登らないかもしれませんし。

「やりたい」とか、「スキ」という気持ちは、自然なもので、頭で「もっとやりたい度あげなきゃ!」みたいに意識的に操作するものではないですよね。

と、まぁそんな感じで、

心の中にある「やりたい度」を操作しようとせず、そのままの大きさで、「自分の外の世界」で再現できれば、人は違和感ないし、幸せなんですよ。

「自分のやりたいこと」が、本当に「家のリビングでネコをなでているような、安心できる生活」の人は、

それをやっているのが、やっぱり幸せなんですよね。

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

 

杉田 隆史

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