「やりたいこと」をやっても、
すぐに興味を失ってしまうあなたも
すぐには興味を失わないあなたも
こんにちは。
運動中かなり家から離れた所でお腹が痛くなり、家まで「走れメロス」ばりに真剣に走り杉田です。
1週間お疲れさまでした!
えーと、私、セラピーの最初でクライアントさんに、
「どうやって私のブログやホームページにたどり着きましたか?」
って、お聞きすることがあるんですけど、
そんな時、よく言われることは、
ネットで「何がしたいかわからない」 で検索してヒットした記事の内容が、
「あまりに自分に当てはまりすぎてビックリして」
or
「自分が言葉にできない部分が言葉にされていて」
or
「こういう角度からの話って、他で読んだことなかったので」
それで、
「セラピーなんて初めてなんですけど、思わず来ちゃいました」
みたいなお話なんです。
確かにクライアントさんの言われるように、世の中にあふれている、「やりたいことをやる!」みたいな話って、同じような話ばっかりで、
「夢をあきらめない!」
「誰にでも天職はある!」
「ワクワクすることすれば、やりたいことが見つかる!」
みたいな内容しかない気がするんですよね。(笑)
でも私、「何がしたいかわからない」という方のご相談を受け続けているうちに、私の中にも相当データベースが溜まってきまして、
「そういう安直な話で片づけられないよな」
ってつくづく思うんですよ。
ということで、今回も、「何がしたいかわからない」という悩みについての私のデータベースからお話したいと思うんですけど、
セラピーの中で、
「これやりたい!と思って、やってみるんですけど、すぐに興味がなくなっちゃうんです。最近はやりたいと思っても、それを本当に自分がやりたいのかどうかさえわからなくなってきました」
みたいなご相談て、結構多いんですね。
で、私がこういう方の話をお聞きするうちにわかってきたのは、
こういう方の「興味がなくなった」っていう言葉って、実は、
「これやってみても、この分野で私はブレイクできそうもないから、やーめた!」
「こんなことやっても、人から認められるのに時間がかかりそうだから、やーめた!」
「人から認められるために、ここまで地道なことはしたくないから、やーめた!」
(*この場合の「人」とは、友人、同世代、社会、親などを指す)
みたいな意味で言っているんことが多いんですよ。
要は、「スキ → キライ」みたいに、「自分の感覚が純粋にそう変化したから」、興味がなくなったのではなく、
「これやっても、人から思ったような評価を得られそうもないから」
「これやっても、人から評価を得るには時間がかかりそうだから」
みたいに「頭で計算して」、興味がなくなったって言っているんですね。
なので、そんな方には以下のような質問をしたりします。
(以下、「杉」は杉田、「ク」はクライアントさん)
杉 「スキなことってありますか?」
ク 「読書がスキです」
杉 「読書がスキかどうか自分でわからない、とかありますか?」
ク 「いえ、ないです。読書はスキです」
杉 「スキかどうかとか、やりたいかどうかって、
そうやって自分でわかるはずなんですが・・・」ク 「そうですね。わかりますよね」
杉 「では、もし仕事を選べるとしたら、A or Bどちらを選びますか?
A 全然興味ない仕事だけど、みんなからスゴイと思われる仕事
B 興味ある仕事だけど、誰からもスゴイと思われない仕事」ク 「・・・・それなら、Aを選んじゃうかも(笑)」
杉 「その場合は、「自分の興味」より、
「みんなからスゴイと思われること」を優先するということですね。もしかして、先ほど言われた、「やってみてもすぐに興味がなくなる」
というのも、
「こんなことやっても、
みんなからスゴイといわれるのに時間がかかりそうだから、やーめた」
みたいな意味で言っていませんか?」ク 「アッ、そうかも。(笑)
でも調子いいかもしれないけど、自分がスキで、
かつ人からもスゴイと思われる仕事がしたい(笑)」杉 「でもそれが一致していない。なぜならスキなものは、読書!(笑)」
ク 「アッ!(笑) でも書評とか書いて、食べていける人だっているし、
読書だって、仕事にできないことはないかも」杉 「そうですね。でも職業として成立させるのは、
それなりに難しいかもしれません。
それを承知で、読書を仕事にするまで努力する覚悟はありますか?」ク 「・・・・・ないかも(笑)」
いつも言っていることですが、私が思うのは、「スキかどうかわからない」って、おかしなことだと思うんですね。
だって自分のスキな食べ物を、「スキかどうかわからない」なんて、ないと思うんですよ。
ではなんで、
「いろいろやってみても、すぐに興味がなくなる」
「自分が本当にやりたいのかどうか、わからない」
みたいな話になるのかというと、
先ほどの例をあげたクライアントさんのように、「やりたいかどうか」と決めている「基準」を、本人が勘違いしているから
なんですよ。
その人が、「スキ/キライ」を「基準」として「やりたいかどうか」決めているならば、それは、「自分が感じること」ですから、「読書がスキ!」のように、「自分でわかります」けど、
「人から評価を得られるか/得られないか」を「基準」として、「やりたいかどうか」決めているならば、
それって、「未来予想」なんですよね。
「未来」って、突き詰めれば、「先のことはわからない」って結論になりますし、そもそも、「人から評価を得られるか/得られないか」って「他人が決めること」ですから、
結局最後は、「自分ではわからない」ってことになるわけですよ。
だから気持ちもコロコロ変わっちゃうわけで。
なので、本人は、自分の「スキ/キライ」を「基準」として「やりたいかどうか」を選んでいるつもりが、
実は、「人から評価を得られるか/得られないか」を「基準」として選んでいることに「本人が気づいていない」ことが、
「いろいろやってみても、すぐに興味がなくなる」
「自分が本当にやりたいのかどうか、わからない」
という言葉を言わせちゃう理由だと思うんです。
あ、でもですね、私、「人から評価を得たいからやる」って、それも全然悪いことじゃないと思うんですよ。
そういう人だって、ちゃんと幸せになれるというか。
たとえば、先日読んだ記事によれば、多くのギタリストが、「ギターを始めたキッカケ」というのは、「モテたいから」なんだそうですよ。(笑)
まさに「人からの評価のため」ですよね。(笑)
でもそれがキッカケだったとしても、ギターがスキになる人っていますよね。
プロのミュージシャンでも、「女の子にモテたいからという理由でギターをはじめて、ギターの魅力にハマった」なんて話はよく聞きますし。
ということは、「やりたいこと」って、そのキッカケが、
「スキ/キライ」を「基準」にしても
「人から評価を得られるか/得られないか」を「基準」にしても
「見つかる人には見つかる」んですよ。
あ、ということで、話が広がりすぎたので最後に話をまとめますと、
セラピーをやっていると、
「本当にスキなことを仕事にしたい!」
みたいな相談て多いわけですけど、実際は、
「人からスゴイ思われる仕事をしたい」とか、
「自分が優秀になれる仕事をしたい」とか、
そういう意味で言っている方が多いんですね。
私、そういう方は、
「自分は、やりたいことを探すというより、何でもいいから人からスゴイと言われる仕事をしたいんだ!」
「自分は、スキな仕事をするというより、とにかく自分が優秀になれる仕事をしたいんだ!」
と思っていることを、
「本人が自覚したほうがいい」
と思うんですよ。
そう、「私、成り上がり人生目指してます!」みたいな。(笑)
そうすれば、興味がなくなった時でも、
「自分の感覚がそのものをキライになったのではなく、
「これやっても、自分が人から思ったような評価を得られそうもないから」
「これやっても、人から評価を得るには時間がかかりそうだから」
興味を失ったんだな」
とかって、自分でわかるわけですよ。
ならば、「自分がわからなくなる」なんてことは、なくなりますよね。
あ、でもですね、あなたが、「やりたいこと」に対して、「人からの評価」を優先することをずっとやってきて、それが、
「なんかつかれた」
「なんか空しい」
「いつもうまくいかない」
とか思うようになったら、その時は、
「自分のスキを優先することを許可してもいいんじゃないの?」
って思うんですね。
だって、「人からの評価」が基準だったら、
「私の価値を決めるのは、他人です」
「私の人生、他人次第です」
ってことになってしまって、「人生が自分の手元から離れて」しまいますよね。
あ、そうそう、あなたがそんなふうに悩んでいる時や、どうしていいかわからなくなった時、すごく良いセラピスト知っているんですよー。
その人は、丸刈りでですね、メガネかけていて、ビール飲むと、すぐ陽気になっちゃうんですって。
あ、そのセラピストの名前は、杉・・・
☆彡
ん?
(トス)
ウッ!
(「☆彡」の意味がわからない方はコチラをどうぞ)
それでは今回はココまでにします。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!
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