結局、自分にしかなれない

最近、

お疲れのあなたも
お疲れでないあなたも

こんにちは。

つけ麺をカウンターから受け取る時にドバっとこぼして狭い店内をかなり気まずい空気にし杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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あ、私、仕事で悩みばっかり聴いてますから、人から「疲れませんか?」って聞かれることが多いんですよ。

で、そう言われた時、「なんかうまく切り返せないかな」とずっと思っていて、最近トンチの効いた返し方ができるようになったのでご紹介します。(笑)

以下、そんなやり取りです。

A 「杉田さん、そんなに悩みばっかり聞いて、疲れませんか?」

杉 「いや、私には、Aさんみたいに、やりたくもない仕事をしているほうが、よっぽど疲れますよ(笑)」

こう言うと、たいてい相手の方は、笑いながら悶絶します。(笑)
「イタッ!」とか言いながら。(笑)

 

さ、そんな私のブラックジョークはさておき、早速ブログにいきますが、私、セラピーの中で、私が心理セラピストを目指した時のことについて聞かれることが多くて、

「杉田さん、どうしてセラピーの世界に飛び込めたんですか?勇気がありますよね。私にはとてもできないです」

みたいなこと言われるんですよね。

こういうことを言われるということは、その人は、

「自分は 「勇気がないから」、やりたいことがあってもできない」

って考えてると思うんです。

他にもクライアントさんは、「やりたいことがあってもできない理由」を、

「自信がないからできない」
「怖いからできない」
「根性がないからできない」

みたいに、いろいろな言葉で表現されるんですけど、

私、どうもそれらの理由が、本当の「やりたいことがあってもできない理由」を言い現していないような気がしていたんですよ。

そしたら先日、フと見た記事で、元ブルーハーツのボーカル、甲本ヒロトさんが、「やりたいことがあってもできない理由」をものすごくわかりやすく表現していたので、「ウォ!」と思ったんです。

以下、甲本ヒロトさんの言葉です。

 

何かをやるためには、ついでに「やらなければいけないこと」ってのが、くっついてくるんだよな、世の中、大人になると。

子どもの時はさ、「やりたいこと」があります、「やりたいこと」をやるためには、「これをやらなければいけない」というのが、くっついてくる、で、子どもはさ、その「やらなければいけないこと」が克服できないんだよ。

だから「やりたいこと」もガマンしなければいけない。
それはしょうがないじゃん。子どもなんだもの。

だけど、大人になってくると、何が違うかって言うと、この「やりたいこと」にくっついてくる「やらなくてはいけないこと」を克服できるパワーが、大人になったら備わってきてさ、それを全部、こう、解決していくんだな。
そして、「やりたいことをやる」っていうところに到達できるんだ。

だから、子供の頃から変わってないんだよ、「やりたいこと」っていうのは、多分。

で、それができるようになるのが大人だからさ、だから、例えばさ、10代の頃にできなかったからといって、諦めなくてもいいと思う。

20歳になった30歳になった40歳になったとき、
「あの時、出来なかったことを、今なら出来る」
っていう大人になっているかもしれないじゃないか。

だから、もう1回でも、何回でもチャレンジできると思うぜ。

 

まぁ、なんといいますか、子供であろうが、大人であろうが、

「やりたいことにくっついてくる、「やらなくてはいけないこと」をやれない人は、
やりたいことができない」

ってことだと思うんですね。

となると、いろいろな人が言う、「やりたいことがあってもできない理由」って、

「やらなくてはいけないことを、やりたくないからできない」

っていうのが本音なんじゃないかと思うんです。

でもそれを、本人が、

「自信がないからできない」
「怖いからできない」
「根性がないからできない」

みたいに、その他いろいろな言葉にカモフラージュして言い換えていると思うんですね。

なので、そのカモフラージュした言葉を本気で「やれない理由」だと思っている人は、

「もっと勇気を出せたら」
「もっと自信を持てたら」
「もっと根性があったら」

「やりたいことをやれる」って考えているのかもしれないですけど、私はそういうことじゃなくて、

「結局、ただそのものがスキかどうか」

が、「やりたいことをやれるか決める」って思うんですよ。

ベタなたとえで言うならば、本当に恋人に会いたいなら、たとえ嵐の中でも会いに行くよね。

それって、勇気とか、自信とか、根性とか、そういうことじゃなくて、ただその恋人が「スキだから」だよね、

みたいな感じでしょうか。

 

でもですね、この「スキ」って、ちょっとやっかいなのは、

「スキって、自分の意識でコントロールできるものでもない」

ってことなんですよ。

たとえば、あなたが、

「らっきょうを1番スキな食べ物にしよう!」

と思っても、できないじゃないですか。(笑)
(元々らっきょうが1番スキな人は除く)

なので、私、

「スキなものは、自分で決められない」
「スキなものは、すでに自分の中で決まっている」

って思うんですね。

それを先ほどの甲本ヒロトさんの言葉でいうならば、「だから、子供の頃から変わってないんだよ、「やりたいこと」っていうのは、多分」って部分なのかなと思うんです。

あ、もちろんこれ、「スキなことは、子供の頃から絶対変わらない!」とか言いたいわけじゃないですよ。

私だって、子供の頃キライだった魚介類が、今は食べれるようになってるし。(笑)

でも、「なんか知らないうちに決まっていて、ずっと変わらないもの」って、あなたにもありませんか?

私だって子供の頃から、「心理セラピストになりたい!」とは思ってませんでしたけど、(そんな職業知らなかったし 笑)

でも、「心理セラピストという仕事を通じて得られる喜び」とかは、子供の頃から、ずっとスキだったんじゃないかと思うんです。

もちろん子供の私は、それを言葉にできなかったと思うんですけど。

そういう根本的な「スキ」って、もう変えられないんじゃないかって思うんですね。

 

なので、

人は、スキなものはスキだし、
スキじゃじゃないものは、スキじゃないし、
スキは意識でコントロールできるものでもないし、ということで、

言ってしまえば、

「自分以外のものになれない」
「結局、自分にしかなれない」

って思うんですよね。

ヒマワリは、バラになれないし、バラは、ヒマワリになれないように。

なので、「やりたいことがあってもできない状態」って、

「自分が思っているほどスキじゃないものを、スキだと勘違いしている状態」

なんだと思うんですよ。

だって、「本当にやりたかったら、やってるはず」ですよね。
嵐の中でも恋人に会いに行くように。

あ、で、私がこの数年、悩みが大きく減ったのは、この

「自分じゃないものになるのを、あきらめたから」

ってことが大きいと思ってるんです。

「それほどスキじゃないものを、スキだと思おうとする」なんて、「らっきょうを1番スキな食べ物にしなきゃ!ウォー!!!」みたいなことやってるわけで(笑)、

そんなこと、バカバカしくてやってられないんですよ。(笑)

自分がカレーがスキなら、「カレースキ人間」でイイじゃないかと。
もうそういう人間なんだと。

なのに世の中、「自分じゃないものになろうとして悩んでいる人」って多いなぁって思うんです。

「○○になりたいのに、やっていないんです」
「○○したいのに、やっていないんです」

みたいな話になる時って、たいてい

「嵐の日は、恋人に会わなくていいよね」くらいの「スキ」

なんですよね。

それでは最後に、私がイチ押しの為末大さんの「諦める力」からの言葉をご紹介して、ブログを終えたいと思います。

 

人生は可能性を減らしていく過程でもある。
年齢を重ねるごとに、なれるものやできることが絞りこまれていく。

可能性がなくなっていくと聞くと抵抗感を示す人もいるけれど、何かに秀でるには能力の絞り込みが必須で、どんな可能性もあるという状態は、何にも特化できていない状態でもあるのだ。
できないことの数が増えるだけ、できることがより深くなる。

人間は物心ついたときにはすでに剪定がある程度終わっていて、自分の意思で自分が何に特化するかを選ぶことができない。
いざ人生を選ぼうというときには、ある程度枠組みが決まっている。

本当は生まれたときから無限の可能性なんてないわけだが、年を重ねると可能性が狭まっていくことをいやでも実感する。
最初は四方に散らかっている可能性が絞られていくことで、
人は何をすべきか知ることができるのだ。

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

杉田 隆史

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