「したい」と「すべき」の区別がつかない人

近所のスーパーに、そのスーパーの「テーマ曲」が、

流れているあなたも
流れていないあなたも

こんにちは。

近所のスーパーのテーマ曲を聴いていたら、「アイスクリーム、ペロペロ~!」とかあまりに陽気な歌詞杉て、とてもこのスーパーについて行ける気がしなさ杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、私、セラピーの時に、「悩んでいる状態から抜け出して、どのようになりたいですか?」という意味で、

その方の「ゴール」をお聞きすることがあるんですけど、時に「ゴール」というのは、なかなか曲者なんですよ。

たとえば、こんな感じです。

 

ク 「家がいつも散らかってるんです。ちゃんと掃除ができるようになりたいです」

杉 「わかりました。ちゃんと掃除ができるようになったら、これから何十年と掃除する量が増えますけど、大丈夫ですか?」

ク 「あ、イヤです!(笑)」

 

こういう方は、「掃除ができるようになりたい」という気持ちがあるのは間違いないんですけど、でもそれを本当に望んでいるかというと、ちょっとビミョウなんですよね。

で、私がわざと、このようなトリッキーな質問をするのは、2つの理由がありまして、

1つは、クライアントさん自身に、

本当に「掃除ができない」という悩みを扱いたいのか?

それとも、「掃除ができない」というのは、何かもっと大きな悩みの象徴のような意味で言っているのか?

あるいは、他に全く違う悩みがあるのか?など、もう一度セラピーで扱う悩みを確認していただきたいからなんです。

それでクライアントさんが、

「それでも掃除ができない悩みを扱いたい」となれば、もちろんそのテーマでセラピーを進めていきますし、

「アレ、私の悩みって、掃除ができないことじゃないのかな?」と疑問に思われるのなら、改めてどんな悩みを扱いたいか、ご一緒に考えていきます。

 

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それから、トリッキーな質問をする2つめの理由としては、あ、これは、私の経験からなんですけど、

セラピーで、いろいろ迷ったあげく、「掃除ができない」のようなライトな悩みを言い出す方って、

「自分のことが自分でわからない」

という悩みを持っている可能性があるんですよ。

あ、これだけだと意味がわからないと思いますので、もう少しご説明させていただくと、

たとえば、この例の場合、この方は、「掃除ができるようになりたい」と言いつつも、「(掃除できるようになるのが)あ、イヤです!(笑)」って反応されていますから、

そんな時、私が思うのは、

「あ、この方、ハッとして苦笑いされているから、もしかすると、自分の中に「掃除がしたくない」という気持ちがあることにあまり気づいていなかったのかな?

それに解決を望んでいるような、望んでないような、ビミョウな悩みをテーマに挙げてきたから、もしかすると、自分がやろうとしていることが、

「したい」 と思っているのか
or
「すべき」 と思っているのか

その区別が自分自身でつかなくなってるのかな?
もしかして、自分のことが自分でわからなくなっているのかな?」

なんて思ったりします。
(もちろん決めつけるわけではなくて、可能性があるかも、という意味です)

 

あ、みなさんもご存知の通り、この、

「○○したい」と思う
「○○すべき」と思う

って、たいぶ意味は違いますよね。

その違いを、改めてここでの例でお話すると、

「掃除したい」は、自分の感覚として、掃除をやりたいと思っている。
自分の内面と行動が一致している感じ。

「掃除すべき」は、掃除をするほうが正しい。メリットがあると思っている。
自分の内面が望んでなくても、やらなきゃいけないみたいな感じ。

というか、もっと端的に言えば、

「掃除したい」・・・ 感覚 (カラダ)
「掃除すべき」・・・ 思考 (アタマ)

みたいな違いがあるのではないでしょうか。

で、この 「したい or すべき」の区別がつかなくなってしまうと、自分のやっていることが、望んでやっているのか、そうじゃないのか、よくわからなくなってしまうので、

そういう方は、さきほどお話したように、

「自分のことが自分でわからない」

みたいな悩みをよく言われるんですよ。

たとえば、

「今度応募する仕事が本当にしたいかわからない」
「今やっている趣味は5年続いているけど、本当にしたいかわからない」
「今付き合っている人は、本当にスキかわからない」

みたいな悩みでしょうか。

自分の考えていること、やっていること全てが「あいまいに感じられる」んだそうです。

でもよく考えてみれば、「自分のことが自分でわからない」って、すごく不自然なことだと思うんですよ。

だって、もしあなたがラーメンを食べているとして、「自分はこのラーメンを本当に食べたいかわからない」なんてこと、ないと思うんです。

「今まさにラーメン食べたい気分」とか、
「まあまあ食べたい」とか、
「あまりラーメン食べたくないけど、なんとなく食べている」とか、

自分のことは自分でわかると思うんですね。

ではなんで、「自分のことが自分でわからない」なんて思ってしまうのかというと、長い間、無意識にまわりの人の期待に応えて「○○すべき」とばかり思って生活していたり、

いつも誰かが、「ああしろ、こうしろと」と指示をしていて(それが当たり前だと思っていて、or それに疑問を感じつつも)、それに従っていたり、

なんでも先回りしてやってくれる人がいて、自分のことを自分で考える必要がなくなっていたり、

つらい感情に長くさらされていた人は、そのつらさを「感じる」ことに耐えられなくなって、自分の感覚を麻痺させて、自分が何を感じているかわからないようにしまったり、

そういうことがあまりにも「当たり前になり過ぎてしまう」と、

「自分で自分の本音を知ることを忘れてしまう」

んですよ。

だから、自分のやっていることが、

「したい」と思ってやっているのか、
「すべき」と思ってやっているのか、

その区別が自分でつかなくなって、自分がわからなくなってしまうんです。

じゃあ、そういう人がどうすればいいかというと、先ほどお話したように、

「したい」・・・ 感覚 (カラダ)
「すべき」・・・ 思考 (アタマ)

なのだとしたら、

「本音」というのは、「したい /したくない」の話ですから、「本音」は、「アタマに」ではなく、「カラダに」あるわけですよ。

ということは、「自分の本音がわからない」というのは、

「本来1つであるはずのアタマとカラダが分断されていて、本音のあるカラダの情報を、アタマがキャッチできなくなっている」

そんな状態なんですね。

なので、「アタマとカラダの風通しを良くする」必要があるんですよ。

自分のカラダの感覚を「感じて」、
それを確認しながら丁寧に「言葉にして」、

「本音」を自分の意識に上げていく必要があるんです。

結局そういうことを、私はセラピーやワークショップでやっているわけなのですが。

 

ということで、最後に今回のブログをまとめますと、

「自分のことが自分でわからない」という悩みを持っている方は、「したい」と「すべき」の区別がつかなくなっていることが多いので、

セラピーの中で、あまり解決を望んでいないような悩みをいくつも挙げてきたり、そもそも何を悩んでいるか、何を望んでいるかわからなかったり、

なんてことがよくあるんです。

なので、本人が「掃除できるようになりたい」と言われるからって、その言葉だけを真に受けて進めてしまうと、すごく表面的なセラピーになってしまうので、

ちょっとトリッキーな質問を使ったりもしつついろいろ確認していますよ、

という話でしたとさ。

というか、こういう悩みって、

悩んでいる本人が、何に悩んでいるのかわからないから、悩みを人に説明できないし、自分で対策もとれないしで、長年悶々とされているんですよね。

なので、そういうあなたに何が起こっているかをまずは知っていただけたらなぁと思って。

 

あなたはどうでしょう。

自分ががやっていること、やろうとしていることが、

「したい」 と思っているのか
or
「すべき」 と思っているのか

ちゃんと区別がついていますか?

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

杉田 隆史

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