健康診断を

受けたあなたも
受けなかったあなたも

こんにちは。

健康診断で25年ぶりに身長が1センチに伸びていることに驚き杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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最近、セラピーの個人セッションをしていると、

「やっと 『健全にあきらめる』 ことの意味がわかりました!」

なんて言われることが多いんですよ。

あっ、この 『健全にあきらめる』 って言葉は、私の本、「正しく悩む技術」から引用してくださっていると思うんですけど、

本の中での『健全にあきらめる』は、

自分の「やりたいこと」に対しての『健全なあきらめ』という意味でご紹介したのですが、

今回のブログは、

「対人」における 『健全なあきらめ』

ということについてお話したいと思います。

 

え~と、もしあなたの職場に、Aさんという憧れの人がいたとして、あなたはそのAさんに告白して、フラれてしまったとしましょう。

Aさんは、もうすぐ結婚する人がいるみたいだし、どう考えても、今後あなたのことをスキになってくれそうにありません。

そんな時、あなたはどうしますか?

まず、大なり小なり、落ち込みますよね。

で、本題はここからなんですけど、そうやってしばらく落ち込んだ後、

あなたはAさんはに対してどう考えたほうが、その後の人生を幸せに生きられるでしょうか?

(1) Aさんのことをあきらめない。まだ愛してくれると期待する。
(2) Aさんのことをあきらめる。もう愛してくれるとは期待しない。

もちろんこの質問に、正解はないとは思いますけど、すぐに割り切れるかどうかは別にして、私は(2)を選んだ人の方が、その後幸せになれる確立は高いのかな、と思うんですよ。そう、「あきらめた人」のほう。

だって、現実は、

今後あなたがどんなにAさんがスキになってくれることを「期待」しても、Aさんは、あなたをスキになってくれないわけですから、

あなたの「期待」と現実の間に、いつも大きなギャップが生まれるわけですよね。

となると、「あきらめられない人」より、「あきらめた人」の方が、次に進めて、幸せになりやすいのかなぁって。

エッ、「そんなの当たり前じゃん!」ですって?

おっ、言ってくれますねぇ。(笑)

では、こんなケースではどうでしょう。
先ほどご紹介した例を、ちょっとアレンジした形で以下にご用意します。

今度の例の「○○さん」には、「あなたの親しい人の名前」を入れて考えてみてください。

あなたの彼女、彼の名前でもいいし、
あなたの妻、夫の名前でもいいし
あなたの姉妹、兄弟の名前でもいいし
あなたの娘、息子のの名前でもいいし
あなたのお母さん、お父さんの名前でもいいし、

そして、今度の例の「スキ」という意味も、「恋愛」だけはなく、もっと大きな意味での「愛」と捉えてください。

ではどうぞ。

あなたに、○○さんという(本当は)大スキな人がいます。
でも○○さんはどう考えても、今後あなたの期待に答えてくれそうにありません。

そんな時、あなたはどうしますか?

自分の親しい人だと、「私の期待に答えてくれて当然なのに・・・」って思ってしまって、なかなか「あきらめられない」んですよね。

そして、「期待」に答えてくれない相手を責める・・・。

でも「期待」って、「相手が自分に」させているものではなく、「自分が自分に」させているものなんですよ。

最初の例で、あなたが職場のAさんに、勝手に憧れ、勝手にスキになって勝手にAさんも私のことをスキになって欲しいと望んだように。

ユダヤ人の精神科医、フリッツ・パールズはこんなことを言っています。

私は私のことをする。
あなたはあなたのことをする。

私はあなたの期待にそうために、この世に生きているのではない。
あなたも私の期待にそうために、この世に生きているのではない。

あなたはあなた、私は私である。

もし、たまたま私たちが出会うことがあれば、それはすばらしい。
もし出会うことがなくても、それは仕方ないことだ。

 

「相手が自分の期待に答えてくれない」

そういうことって、人生で度々起こりますよね。

でもそういうことが実際起きても、

それが、「相手は私の期待に答えてくれて当然」という前提を持っている人と、

「相手は私の期待に答えるために生きているのではない」という前提を持っている人とでは、

全然受けるショックや、それを引きずる長さが違うんですよ。

なので、もしあなたが、相手に期待して、「なんでやってくれないんだろう・・・」と、いつも傷ついてばかりいるなら、

まずは、

私はあなたの期待にそうために、この世に生きているのではない。
あなたも私の期待にそうために、この世に生きているのではない。

と腹をくくって、「私」と「相手」の間に線を引いてみる必要があるんですね。

そうやって、「相手は自分の思い通りになる存在ではない」と、「期待をあきらめる」ことで、

はじめて見えてくるもの、
はじめて感じること、

そして、はじめてできることがあるんですよ。

これが『健全にあきらめる』の意味です。

あなたがどんなに仕事の能力が高かろうと、どんなに人とのコミュニケーションが上手かろうと、

自分ができもしない目標を掲げたり、(自分をあきらめられない)
期待に答えてくれない人に期待をすれば、(他人をあきらめられない)

それだけで「悩み」ができてしまうということなんですよね。

 

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では、最後にもう一度言います。

私はあなたの期待にそうために、この世に生きているのではない。
あなたも私の期待にそうために、この世に生きているのではない。

「期待」とは、「相手が自分に」させているものではなく、「自分が自分に」させているものだ。

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

杉田 隆史

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