絶望しないと希望は持てない

ドラクエを

やったことがあるあなたも
やったことがないあなたも

こんにちは。

セラピー中お腹がクークー鳴り杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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前に書いたブログに、

「閉塞感から抜け出したいあなたへ」

という記事があったのですが、
みなさん、覚えていますか?

あ、そうです、「ドラクエ」のことを書いた記事です。

今回はその続編的な位置づけで、記事の中でお話した、

「洞窟に行こうとする人」

についてもう少し詳しくお話したいと思います。

エッ、「洞窟に行こうとする人の意味がわからない」ですって?

おっとっと、そんなあなたは、先月の記事の読んでから、今回の記事を読んでみてくださいねー。

(「洞窟に行こうとする人」の意味がわからない方はコチラからどうぞ)

閉塞感から抜け出したいあなた

 

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えーと、さてさて、仮の話ですが、もしあなたの友人のAさんが、「ドラクエ」をやりはじめて、

スタートしたばかりで、まだレベル1なのに、いきなりレベル10くらいで行く洞窟に向かっているとしましょう。

当然のことながら、そこで強い敵に遭い、すぐにゲームオーバーになりますよね。

ところが、Aさん、すぐにゲームを再開すると、またその洞窟に向かっていくんです。

そしてまたゲームオーバーになって、「自分はダメだ・・・」とガッカリして落ち込んでいます。

そんなことを、もう10日も繰り返しています。

あなたは、さすがにその状況を見かねて、

「今、その洞窟に行くのは早いんじゃないの?」
「もう少しスライムとか倒してレベルを上げたら?」

なんてアドバイスをするのですが、Aさんは、

「洞窟行けない自分を許せない」
「あきらめたら終わりだ」

などと言って、一向に聞く耳を持ちません。

Aさんは、その後3年間、毎日その洞窟にチャレンジし続け、ゲームオーバーを繰り返し、

「やっぱり自分なんかダメなんだ」と毎日落ち込んでいます・・・

 

まぁ、実際にAさんのような人がいたら、相当困った人ですよね。(笑)

でも、Aさんのようなことをやっている人って、実は結構いるんですよ。

たとえば、健康ために、「毎朝走る!」とか、

英語が話せるようになりたいと思って、「毎日英語を勉強する!」とか、

いつも「こうしなきゃ!」と思っていることがあるのに、何日も、何ヶ月も、いや、時に何年もやってないことってありませんか。(笑)

それで、やらない自分を「ダメだダメだ」と責めていつも落ち込んでいる人。

それって、Aさんとやっていることが同じなんですよね。

「自分ができないことをやろうとしていることに、気づいていない」

ってことなんです。

それだけやれていないということは、その人にとって、「毎朝走る!」とか、「毎日英語を勉強する!」って、無理なんですよ。できないんです。

それなのに、「できない自分」が認められない。

冷静になってみれば、もし他人が、「毎朝走る!」と宣言して、それを3ヶ月もやっていない姿を見ていたら、

その人が3ヶ月と1日目に走るか?

と考えれみれば、「まぁ、できないだろうな」って、すぐにわかるはずなんですよ。(笑)でも自分のこととなると、それがわからない。(笑)

つまり、「洞窟に行こうとする人」というか、自分ができないことばかりやろうとして落ち込んでいる人って、

口では自分のことを「ダメだダメだ」と落ち込みながら、心の奥のどこかでは、自分を高く見積もっていて

「洞窟行けない自分を許せない」とか
「洞窟に行ってナンボ」だとか、

つまりは、「本来の自分は、それができて当然の人間」だと思っているんですよ。

だから毎回毎回ガッカリして、そこまで落ち込むことができるんです。

でも、明石家さんまさんが、

俺は、絶対落ち込まないのよ。
落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。
過大評価しているからうまくいかなくて落ち込むのよ。
人間なんて、今日できたこと・やったことがすべてやねん。

なんてことおっしゃっいますけど、「それは自分にはできない」と本当に受け入れている人だったら、できなくても、そんなに落ち込まないと思うんですよね。

 

と、ここまでなんだか厳しい話になっていますが、こういうことなんです。

「洞窟に行こうとする人」、つまり、自分がレベル1なのに、心の奥でこっそり自分がレベル8くらいだと勘違いして洞窟に挑んでいる人

に必要なことは、

自分がレベル8ではなく、本当はレベル1であるという現実を認めて、いったん自分に「絶望すること」だと思うんです。

これって実際は、結構つらい作業なんですよ。

自分をレベル8だとは思っていなくても、レベル3くらいだと思って洞窟に挑んでいた人が、「オレってレベル1かよ・・・」って気づく時でさえ、本当に自分にガッカリしますからね。

でも、そうやって自分がレベル1だとわかった人にしか、

「レベル2になる」という、「リアルな希望」、「リアルな夢」は持てない

と思うんですね。

「レベル1の人が、いきなりレベル10になる」というのは、夢物語というか、幻想というか、

どんなにチャレンジしても、それはできないですから、それが本当の「希望」や「夢」としての機能を果たさないんですよ。

だから、自分をレベル8だと思っている限り、「希望が持てない」。

でも、レベル1の人がレベル2になるプロセスは、その人にとって適切な課題ですから、確実にできるわけだし、「自分もできる!」と実感しながら進むことができますよね。

これが、今回のブログのタイトルの、

「(いったん)絶望しないと希望は持てない」

ということの本当の意味です。

別の言い方をすれば、

「自分が思っているほど、自分は素晴らしくない」と気づいた人にしか、自分の素晴らしさはわからない

と言ってもいいのかもしれません。

でも、いつもできないことばかりやろうとして落ち込んでいる人に、こういう、「自分を高く見積もっている」なんて話すると、

「自分はそんなに自分を高く見積もっていない。ただ人並みにできればいいだけなのに、できない」

なんてことを言うんですよね。

でも、もしそれが本当なら、これまた厳しい言い方になりますが、

その人は、

「人並みではない」

ということに気づく必要があるんですよね。

あっ、この場合の「人並み」という意味は、「絶対的な人並み」という基準があるのではなく、「その人の思う人並みではない」ということですからね。

人はこのように自分にガッカリしたくないですから、こうやって「自分の本当のレベルを認める」ってなかなか難しいことなんですよね。

でも自分がレベル1なのに、レベル8だと思っている人って、「本人がそのことに気づく」以外、前に進みようがないんだよなぁ。

 

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と、なんだかここまで話がまとまりを欠いていますが、最後にゴーインにまとめますと、

長い間、自分がやろうと思っていたことができなくて自分を責めて落ち込んでいる時って、

ヘンな言い方になりますが、まずは

「自分はできない」とアッサリ認めることからスタートしたほうがいい、

と思うんですよ。

あっ、といっても、でもこの場合の「自分はできない」の意味は、

「自分はできない」、だから「自分=ダメ」

という意味ではなく、

「自分はこのやり方ではできない」、だから「このやり方=ダメ」

という意味ですからね。

だから、自分が「できないやり方」をやめて、自分が「できるやり方」をすればいいんですよ。

今は「洞窟に行く」ことはできないけど、「スライムなら倒せる」とか、

今は「毎朝走る!」ことはできないけど、「週2回ならジムに行ける」とか、

今は「毎日英語を勉強する!」ことはできないけど、「平日の通勤中、英語の教材聞き流すのならできる」とか。

エッ、「自分ができるやり方をやろうとしても、全然ヤル気が出ない」ですって?

ギ、ギク!それに気づいちゃったかぁ。(笑)

となるとその場合は、自分に「もっと根本的な質問」をしないといけないんですよ。

「そもそもあなたは、それを本当にしたいのか?」ってことを。

「走る」とか、「英語の勉強」とか、「それほどしたくないことを、そこまでやらなきゃと思っている」って、すごく不自然じゃないですか。

なんでそうなるかをたどると、「親からの刷り込み」が原因のことが多いんですよ。

たとえば、子供の頃、親に気を使って(愛されようとして)、いつも親が期待するような「イイ子」を演じていたり、

勉強やスポーツなど、できた時は親に認めてもらえたけど、できない時は、全然認めてもらえなかったり、

どんなにがんばっても、全然親から褒めてもらえなかったり、

親が他の兄弟、姉妹のことばかりかわいがっていて、自分も他の兄弟、姉妹のようにならなければと思っていたり、

そういうことがあると、子供は無意識に、

「親が喜びそうなことしなきゃ!」とか、
「とにかくなんでもガンバラなきゃ!」とか、
「愛されている他の兄弟姉妹のようにならなきゃ!」とか、

つまりは、自分そっちのけで、

「ありのままの自分ではないもの」にならなきゃ!

って思うわけですよね。

で、大人になってもそれを無意識に続けているんですよ。

だから、「頭の中にいる親」の期待に答えるために、それほど「やりたくないこと」を
「やりたいこと」だと勘違いしてやろうとするわけです。

でもそれは、本当は本人が「やりたくないこと」ですから、やれないのは当然ですよね。

なので、もしあなたが、「ありのままの自分ではないものにならなきゃ!」とばかり思っていて、

「それほどしたくないことをやらなきゃ!」とばかり思っているなら、

そこまでいったら、もうそれは「親からの刷り込み」ですから、自分でなんとかするより、セラピーを受けたほうがいいと思います。

というのは、これは前に書いた記事でもお話しましたけど、「頭の中にいる親」を頭から追い出すというのは、人の力を借りずに、自分だけ力のでやるのは難しいんですよね。

(「頭の中にいる親」を追い出すことについてはコチラの記事をどうぞ)

「何がしたいかわからない」という言葉のウラにあるもの

 

ということで、今回のテーマにした、「洞窟に行こうとする人」というのは、

「自分ができないこと」をやろうとしている。
「自分がやりたくないこと」をやろうとしている。
そして、その根底には「親からの刷り込み」が絡んでいる。

という話でしたとさ。

あなたは、どうでしょう?

いつも「ありのままの自分ではないもの」になろうと、「自分がやりたくもないこと」をやろうとして、

でもやりたくないから、やっぱりできなくて、そんな自分をいつも責めていませんか?

 

それでは今回はココまでにします。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

 

杉田 隆史

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