自分が「ふつうの家庭に育った」と
思っているあなたも
思っていないあなたも
こんにちは。
米津玄師の「馬と鹿」の歌詞が「なかったー!」しか聞き取れな杉田です。
1週間お疲れさまでした!
あ、今回は、性格のことで悩んでいるクライアントさんが、意外と気づいてないことも多い、「あること」について言語化したいと思います。
えーと、私のところに相談にいらした方とお話していると、「生まれ育った家族の話」になることって多いんですね。
で、みなさんから、よくお聴きするのは、
「私、親から虐待を受けたわけでもないし、親がアルコール依存とか、両親が離婚したとかでもないし、ぜんぜんふつうの親に育てられたのに、なんで私、こんな性格になっちゃったんでしょうね」
みたいな話なんですよ。
でもですね、私が、「悩んでいない人の悩み相談」という看板を掲げて仕事しているせいかわかりませんが、
私のところに相談に来る方って、いわゆる「ふつうの家庭」に育った方ばかりなんですよ。
なのに、性格のことで悩んでたりするんです。
では、なんでふつうの家庭に育った方が、そのように悩むのかというと、
性格って、親や家庭が、ふつうとか、ふつうじゃないとかは関係なくて、
「子供時代のあなたが、どう感じていたか」
によって決まるんですね。
たとえば、あなたの親が、「どんなあなたでも愛している」と思っていたとしても、
子供時代のあなたが、
「優秀じゃないと、親から愛されない」
「優秀じゃないと、親を喜ばせることができない」
とか感じていたなら、
あなたは、優秀であることにコダワる人になって、優秀じゃない自分になったり、なりそうになると、そういう自分が許せなくなったりするんですよ。
で、それで悩んだりする。
そういうのが、親や家庭がどうこうではなく、
性格は、「子供時代のあなたが、どう感じていたか」によって決まる
ってことの意味なんです。
↓そのへんの話の詳しく知りたい方は、以下の過去記事でどうぞ。
あ、なので、「ふつうの家庭」に育った方でも性格のことで悩んだりするわけですけど、
「私、親から虐待を受けたわけでもないし、親がアルコール依存とか、両親が離婚したとかでもないし、ぜんぜんふつうの親に育てられたのに、なんで私、こんな性格になっちゃったんでしょうね」
みたいなことを言われる方が、意外と気づいてなかったりすることの1つに
「親が、ふつうに自分の世話をしてくれたけど、それを嬉々としてやっている気がしなかった」
っていうのがあるんです。
これ、どういうことかというと、子供のころ、親は、あなたの世話をふつうにしてはくれているんだけど、
親が楽しそうとか、スキンシップが多いとか、
親があなたに対して「喜んで接している」という感じではなく、「子供だから育てないといけない」みたいな、「どこか義務的にあなたに接しているような感じ」を受ける子供もいるんですよ。
ただ子供によっては、そういう接し方って、「なんか自分は親に歓迎されていない」って感じることもあるみたいなんですよね。
でも、そういうふうに捉えてしまう子供の気持ちもわかるというか、たとえば、今の大人のあなたが、友人の家に遊びに行ったとしますよ。
そんな時、あなたが、玄関を開けると、
って対応されるのと、
みたいに対応されるのって違うと思いませんか?
もし子育ての中で、
その子供の自己認識に影響するというか。
ということで、人によっては、親が、
の間に思ったよりも差を感じていて、その差に、けっこうダメージを受けてることってあるんですね。
でも、本人がそのダメージに気づいていないことも多いので、私のところに相談にくると、
「私、親から虐待を受けたわけでもないし、親がアルコール依存とか、両親が離婚したとかでもないし、ぜんぜんふつうの親に育てられたのに、なんで私、こんな性格になっちゃったんでしょうね」
みたいなこと言われるんです。
「ふつう」って文句言えなくなっちゃうんですよね。
だから、親に対しての不満があっても心の奥に押し込んてしまって、自分でもわからなくなってしまうんですよ。
あ、で、子供の頃、こういう「歓迎されていない感」を感じていた方って、大人になっても、
「自分は、まわりから歓迎されていない」
「自分は、邪魔・迷惑なんじゃないか」
「そのまま自分では、ここにいられない」
みたいに悩んだりすることがあるんです。
なので、もしあなたが、言われてみれば、
「親が、ふつうに自分の世話をしてくれたけど、それを嬉々としてやっている気がしなかった」
「なんか自分は、親から歓迎されていない気がしていた」
みたいに感じている方は、よろしければ、セラピーの個人セッションをどうぞ。
なぜなら、こういう悩みって、
親が、毎日のスケジュールをこなすのが精一杯で、子供の前で余裕がなかったんだとか、
元々、親の性格が淡々としていたから、喜んで子育てしてる感じが伝わってこなかったんだとか、
そういうことが「アタマで」わかったとしても、「カラダで」納得しないとなかなかワダカマリを抜け出せないんですよ。
それを自分だけでやるのは、なかなか難しいので。
さ、ということで、
「親は、ふつうだったけど、嬉々としてなかったー」
(「なかったー」の部分だけ「馬と鹿」風に 笑)
ことで、けっこうダメージを受けているのに、自分がそのことに気づいてない方って意外といらっしゃいますよ、
てな話でしたとさ。
それでは今回はココまでにします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!
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