「大学院の研究生活がつらい」

と悩んでおられたクライントさんから、
個人セッション(心理セラピー)の後にいただいた感想です。

(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

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杉田さま

△/△に個人セラピーと、
先日関西でのワークショップでお世話になりました、
○○と申します。

その節は大変お世話になりました。
その後生活するなかで色々な変化を感じて、ご報告とお礼をしたく、メールを差し上げました。
長文、駄文で恐縮ですが、目を通していただければ幸いです。

私は小学生くらいの頃からなんとなく生きづらさを感じていました。
でもふとした時に、実は自分の思い込みによって自分を苦しめていたことに気づき、解放される、ということを繰り返してきました。

たぶんその思い込みは親からもらったものだったのだと思います。
そうして楽になっていきつつ、まだ親のことで何か引っかかる感じが残っていました。

ここ何年か心理系の記事やブログをよく読んでいて、
「もしかしてプロの方の助けを借りたら、この最後の引っかかってるところがどうにかなるかな~」
と思いはじめていました。

セラピーの最初に、「大学院の研究生活がつらい」というお話をして、それはもちろん本当だったのですが、
セラピーを受けた決め手としては、上の理由も大きかったように思います。

セラピーでは、親に対して怒りの感情が出てきたことに自分で驚きました。
「私は怒っています」と言ってしっくりきた自分に「え?そうなの?」という感じで、
杉田さんに新聞紙を渡されても「そこまで怒ってないけどなぁ~」と、なかなか椅子を叩く動作ができませんでした。

でも叩かないとセラピーが進まなさそうだし、空気読んで叩いとこう…とためらいがちに叩いてみたら、びっくりするくらいムカムカしてきて、
「え~!私ってこんなに親に対して怒ってたんだ~!」と…笑

いつだか親に反抗的なことを言ったら、「もうお前の学費等は出さない」と言われ困って、それ以来言いたくても機嫌を損ねるようなことは言わないようにしていたんです。
自分では「親はお金をくれる人と思っておだてとこう」くらい割り切っているつもりだったので、不満が溜まっていたことに全然気がつきませんでした。

話が変わりますが、
私の親は私が成人するまで毎年誕生日にカードと花をくれていて、
でも私は、カードの内容は説教くさくて嫌だし、花とか贈る自分カッコイイと思ってるんでしょ、とずっと思っていました。

セラピーの後、ふとそのカードと花のことを考えて、その時初めて「私ちゃんと愛されてたじゃん!」と思えました。

そして、今まで愛されてた証拠はたくさんあっても認められなかったり、小さいことをいつまでも許せなかったりしたのは、
親に対して怒ってるこの気持ちを忘れないために、あえてそうしてる自分がいたんだなあ、と感じました。

こう思えただけでセラピー受けにきてよかった!
というくらいの変化でした。

また、日常生活でも変化を感じました。
それまで目上の人(特に年上の男の人)と接するときに
すごくプレッシャー?を感じていたのが、最近はわりと自然に振る舞えてるような気がするのです。

たぶん、相手の期待から外れるような言動をしたら大変なことになる!
みたいな思い込みがあって、何を期待されてるか分からない時や、期待に応えられないと分かっている時には、
どうしよう!とパニックになっていたんですが、その思い込みを捨てられたのかな?と思います。

この変化だけでも院生生活がかなり楽になりました。
(指導教員はじめ大学で関わる人々はまさに上記の人ばかりなので)

そして先日、ワークショップに参加してみて、
スポンサーシップエクササイズで
あまりもじもじしてない自分に驚き、
(「えっ、私って自分ダメ!生きる価値ない!と思い込んでるタイプじゃなかったっけ?!」と)
家に帰ってからぼーっと考えていたんです。

全然だめだめだった小学生の頃から、色々と努力して、「自分そんな悪くないじゃん?」と思えるまでになって、よくここまで来たなあ…
あ、なんだ!元々の私ってあんなにだめだったのか。
いま研究さぼってだらだらしてる時とか
「こんなんじゃだめだ~」とか思ってるけど、それがデフォルトなのか~!!

と、ふっと思えたんです。
長い間、さぼりたい気持ちとそんな自分を責める気持ちで板挟みでしたが、責めてるというか
「私はもっとちゃんとした人間のはず!」
と思いたかったんだな~と。

今までブログでドラクエの話とかを読んでも、「わかる~そういう事あるよね~」とは思いつつ、
現状に当てはめようとしても附に落ちなかったのが、すっと入ってきました。

なぜこのタイミングで分かったのか謎ですが、他にも色々変わったことで、等身大の自分を認めて大丈夫なように準備が整ったってことなのでしょうか…。

とにかくここまで来て、セラピーの時にお話していたもやもやが本当に全部晴れた感じがしています。

現状をごまかさずに見られるようになったおかげで、今の自分でちょっと頑張ればできることと、
できなくて当然なことの区別ができるようになって、すごくやりやすくなりました。本当に嬉しいです~!!

ワークショップの感想はまだ言語化できていないことが多く、一部しか書けませんでしたが、早速生活に取り入れてみているので、これからの変化が楽しみです。

また機会があったら他のワークショップにも参加してみたいと思っているので、
(オートクラインで「金遣いが荒いのが悩み」とか言ったそばから…笑)
その際はどうぞよろしくお願いいたします。

色々なことに気づかせていただいて、本当にありがとうございました。
今後も杉田さんの益々のご活躍をお祈りしています。

 

> なぜこのタイミングで分かったのか謎ですが、
> 他にも色々変わったことで、
> 等身大の自分を認めて大丈夫なように
> 準備が整ったってことなのでしょうか…。

子供は、小さい時ほど、「親は完璧な存在」だと思っているわけですが、時がたつにつれ、「そうではないんだ」ということに気づいていきます。

でも、大人になってからも、親が完璧でないのは頭ではわかっていても、

「親はこうはあって欲しい」
「これくらいはできる親のはずだ」

と、自分の理想の親であってくれることをあきらめられず、心の奥底では、「親に変わって欲しい」と期待していたりします。

でも、そういう時の

「親は、こうはあって欲しい」
「これくらいはできる親のはずだ」

は、親をよくよく見てみると、実際は「できないこと」だったりするんですよね。

(そんなことについて書いた記事はコチラからどうぞ)

「100通りの言葉でI LOVE YOU」 その1

「100通りの言葉でI LOVE YOU」 その2

「親は自分が望むことができない」と受け入れることはツライことですが、そうやって親の不完全さを受け入れると、なぜか自分の不健全さも受け入れられるようになります。

個人セッション(心理セラピー)では、親にも自分にも、そんな「健全なあきらめ」ができるようにサポートしていきます。

 

杉田 隆史

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