「つい自分のことしか見えなくなってしまう」
と悩んでおられたクライントさんから、
個人セッション(心理セラピー)の後にいただいた感想です。
(ご本人の許可をいただいて掲載しております)
杉田さま
こんにちは。ご無沙汰しております。
◯◯と申します。件名の通り、体験談ではありますが、
ブログの記事には使いにくい文章かなとは思いつつも
あまりに嬉しくなったので送っちゃいます。—
ちょっとずつ満たされる経験ができて、
だんだん心の穴が小さくなっていった。
苦しさを吐き出す作業も少なくなって、
その結果心の中が空っぽになった。
孤独感と虚無に襲われた。
そのあと、
空いた隙間に入れたいものは思い出という感情の証だった
ひとりで何かした記憶ではなく、
誰かと何かをした思い出。
だから他者が必要になった。
他人を見るようになった。
どうすれば快い気持ちを交換できるのか、
やっと考えられるようになった。
快い気持ちを交換した思い出を
たくさん残して生きたいと思った。
自分がほしいものが手に入るようにと、
まずは相手を満たしたいと思った。自分で書いた文章に自分でぽろぽろ涙をこぼしている。
ずっと苦しい水中をジタバタもがいていた感覚から
ぷはーっと水面に顔を出せた感覚。
今やっとここまで来たからこの先うまく行くかわからない。
けど、ちゃんと書き残そうと思った。
—僕が好きな「クロスロード」の話の行き着く先は
夭折して伝説になるか、欠落がなくなって作品がつまらなくなるかだと思いますが、
どうやら僕はつまらない普通の人として生きていくみたいです。追記
僕はamazarashiというアーティストが好きなんですが、
今回のお話の途中の人に向けて次の曲を贈りたいと思います。
amazarashi 『たられば』
「自分のことしか興味が持てない。他人に関心がない」という相談で来る方がいらっしゃいます。
こういう方は、「他人に関心がない」という自分を「ヘンなんじゃないか」って言って私のところに相談に来るんですけど、
本当は、「ヘン」ではなく、「ツラい」と感じているんだと思うんです。
ではなぜ、「ツラい」ではなく「ヘン」と言って相談に来るのかというと、そういう方は、そもそも「他人に関心を持つことの喜びを知らない」から、自分の中に違和感があるけど、それをなんと言っていいかわからないのと、
人によっては、「ツラい」と感じている自分に気づいてしまうと、自分がやってられなくなってしまうので、「ヘンだ」と言い換えているみたいなんですね。
そういう方が元気になるには、ちょっと時間がかかるんですけど、どうでもならない悩みではないんですよね。
なので、こういうクライアントさんの声は、「ここまでよくガンバったね」ってホロリとしてしまうんです。
あ、「自分のことしか興味が持てない」ということがツラくなる理由は、以下の3つのリンクをご覧くださいね。