「なにか虚しい」

と悩んでおられたクライントさんから、
個人セッション(心理セラピー)の後にいただいた感想です。

(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

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私が初回セラピーを受けに行ったのは、
去年の冬のことだったと思います。
覚えておられるでしょうか?

ちょうど一年たちましたが、
私の内面は、色々な変化がありました。

あのときは「なにか虚しい」みたいな良く分からない悩みで、
杉田さんのセラピーを、受けに行ったと思います。

一年たった今、思うのは、セラピー後の最大の変化は、
“自分の感じていることが、自然にわかるようになった”
ということです。

そのおかげで、前ほど、苦しむことがなくなりました。

なんというか。
セラピー前までは、頭が
「なんで苦しいのか、どうしてこうなるのか」
と、苦しいという感情をどうにかしようとでしゃばっていたのですが。

セラピー後は、頭が体に問いかけるようになったというか、
体の反応を待つようになったのです。

そして体は、さまざまな思いを映像や言葉、声にして
返してくれるようになりました。

苦しいことがあるたびに、体に問いかけ、
浮かんできた言葉や思いで自分が何を感じていたか、
前よりはわかるようになりました。

そのおかげで、たくさんのことに気付くことができました。

例えば。
私は長女で、下に妹や弟がいました。
幼い時、家族で車に乗ってどこかへ行くとき、
いつも私は後ろの席に座っていました。

本当は運転席にいる母親の隣(つまり助手席)に座りたいのに、
弟や妹とケンカになるため(それで怒られるため)、
我慢していたのです。

それを23歳になった最近まで、ずっと続けていました。

ある時、母親と二人で車にに乗ることになり。
私は、我慢せず、母親の隣の助手席に座りました。

母親の運転中、他愛のない話をしていただけなのですが、
大好きな母親の隣に座れただけで、
胸の当たりにふわふわ暖かいお日さまのようなものが溢れ、
とても満たされました。

それは、言葉にするなら、”愛されている”というような感じでした。

理由はわからないけど、愛されていない、大切にされてない
と前から感じていました。

それは、自分が、このようにしたいことを我慢してきたあまり、
したいことを叶えてもらう機会を逃し、
叶えてもらえない=愛されていない、
と感じていたのかも、と思いました。

また、そんな変化のなかで「なんか虚しい」
と感じていた理由が分かりました。

ある時、職場の同僚たちが話をして笑いあっていたんです。

私はその時離れた場所にいて、
話をぼんやり聞いていただけでした。
話の内容も分からないし、興味ないなぁ、と思ってました。

なのに、私はなぜか”笑わなきゃ”と思ったのです。

その時の感じは、”皆が笑いあっている良い場面なのだから、
私がしらけた顔をしてはいけない。
場の空気にあわせて笑わなければ”、みたいな感じでした。

その時、私の心は、興味ないという感情を押し殺し、
嬉しいという感情を無理に作り出しました。
そして、心底嬉しそうな笑顔を作ったのです。

そのとき、はっきりと心が苦しくなりました。
セラピーに行く理由になった”息がつまるような虚しさ”
を感じたのです。

多分、私はこのように自分の感じていることを押し殺していた。
体がそうしたいと思ったからではなく、
頭が考えた理屈でそうしていた。

したくないことを無理にして、感じてることを押し殺していたら、
そりゃ苦しくなるし、虚しいわー、と初めて気づきました。

てか、感情を無理に作り出す、とか、どんだけー!
って感じです(笑)

と、こんな感じでいろんな自分の思いに気づくことが多くなりました。

その結果、頑張っていた自分に気付き、
そんな自分を大切にしたいと思ったり。
いろいろあって受け入れたくなくて反発してた人を、
受け入れることができたり。
気持ちに余裕ができたのか、
なんとなく、見える景色が広くなったように感じたり。

本当に不思議です。
今まで、こんな風に、自分の内側から自分に言葉を返すことは
なかったのです。

あ、あと、自分を守るための怒り、も、感じられる場面が増えました!
嫌なことがあったり・されたりした時は、自分が悪かったのかな?
と、くよくよ悩んでたのですが。

最近は悩む前に、嫌なことをした相手に、
なにしてんじゃー(#`皿´)と、怒りを感じ、
自分を責めることが減りました。

他人のことはすごく気にして大切にしてるのに、
自分のことはポイ捨てしてる自分に気づいたら、
自分を大切にしなきゃなぁって、
怒って、守ってやんなきゃなあって感じになりました。

失敗したとき、自分を”ダメ人間!”と責めることも、
自然となくなりました。

自分の内側から、
“失敗して落ち込む自分をさらにいじめて何が楽しいの?”
みたいな声が上がってきて、確かに、って思ったら、
いつの間にか使わなくなってました!

そのときは、泣いて自分に謝りました。
いじわるしてごめん、って。
外からみたら、だいぶ危ない奴ですが。(笑)

全部、杉田さんのセラピーのおかげです(^-^)/

おもえば、セラピーを受けに行ったあの時、本当に苦しかった。
でも、なぜそんなに苦しいのかわからずにいたんです。
このままじゃ、また昔のように、自殺しなくちゃいけなくなる。
そう思って、インターネットに助けを求め、
杉田さんのブログにたどり着きました。

東京は遠かったけど、セラピーに行ってよかったと本当に思います。

また、セラピーの時、椅子を叩くワークをしてたときなのですが。
ふっと見上げた杉田さんの表情を、今でも覚えています。
すごく泣きそうな顔をされてました。
そのとき、私、すごく救われたような気がしたんですね。

自殺のこと、私の心のことは、
私にとっても家族にとってもタブーでした。
私が不登校になって苦しんでたとき、
親はどうにかしようとはしてくれたけど、
私の苦しみを受け止めてはくれなかったです。

私の将来の心配はしていたけど、
私が苦しんでいることにたいしては、
どう扱っていいかわからなかったようでした。
仕方ないです。親は万能じゃない。

でも、私の苦しみは自分でも受け止めきれず、
親にも誰にも受け止めてもらえず、
私の中にずっとあり続けていたんだと思います。

あのとき、杉田さんが泣きそうな顔をしてたのを見て、
あの苦しみをわかってもらえた気がしました。

ワークをいろいろしましたが、私にとっては、
あのとき杉田さんにちゃんと気持ちを聞いてもらえた、
共感してもらえた、と、感じれたことが
一番大きかったと思います。

すみません、だいぶ長くなりました(^^;
とにかく、杉田さんのセラピーを受けなかったら、
今の私はいないです。
もしかしたら、二度目の自殺に走ったかも、なんて思います。

本当に、本当に、ありがとうございました。

今は、実は、自分を救う旅に、自分から出ようとしているところです。

今の仕事は自分の苦手なところを求められるため、
自分がいっぱいいっぱいになることが多いので、
思いきって辞めます!

無理をあんまりしなくていいような仕事を探すつもりです。
また、私、昔から、絵を書くことや物語を作ることが好きで、
作家になりたいな、と思っていました。

しかし、なれるかわからないから、と、
中途半端な趣味の範囲で続けていました。

でも、セラピー後、”自分が幸福に生きていくのに必要なのは、
マトモな職に就いてまっとうな人生を歩むことよりも、
大好きな物語を作っていくことだ!”と感じることがあり、
ちゃんと本気の作品を仕上げて新人賞に投稿しようと思い、
今書いています。

また、今まで自分は、親にさえ、本当に思うことをしゃべらず、
当たり障りのないことをしゃべり、時には嘘をついてまで、
いい人を演じて他人に接していました。
しかし、そんな感じじゃ他人と付き合うのは苦しい。

それに、なんか悲しかったり、寂しかったり。
自分だけ遠くにいるような、自分は受け入れられてない、
みたいな思いがありました。

一人でいることが多かったのですが、
そのことに気づいてから、本当に思うことをそのまましゃべり、
その様に振る舞ってみるようにしました。

怖かったり不安だったりするんですが、
それが他人に受け入れられたときって、
すごく満たされたんですね。
胸の当たりがふわっと。

他人に受け入れられなくても、
自分がしたかったからした、みたいな感じで、
嘘をついて振る舞っているときより
自分を責めることも少ないというか。

まだ自分は、受け入れられてないとか、
愛されていない、大切にされてない、
みたいな苦しみを感じることがあります。

できない自分を責めたり、他人に嘘をついてまで
“いい人”でいようとしていたりします。

でも、今思うのは。
それは、誤解というか。
昔はイイ人でいることが、
自分にとって都合が良かったかもしれないけど、
今は違うんじゃないか?
そこまでいい人になっても、良い方向には向かないんじゃないか?
という思いがあります。

小中校生だった時の自分は、
“一人サバイバー”とでもいいますか(笑)、
とにかく学校で、自分を、他人や、
いろんなものから守ろうとしていました。
(時には登校拒否をしたり。)

いじめられていたわけじゃないのですが、
とにかく傷付かないように、嘘をついてまで、イイコでいることで、
自分をガッチリ守っていました。

多分、こうやって自分をちゃんと出せてなかった。
偽りの着ぐるみの自分でいた。
だから、その下で本来の自分が、
愛されていないとか受け入れられてないとか感じていたのかも、です。

だから、今の自分が、自分を救うためにするべきことは、
“自分が本当に思うようにしゃべって振る舞ってみること”
ではないか、と。

それで満たされるなら、それを続ければいい。
怖いならやめてもいい。
不安な自分も、やる気な自分も合わせて見守っていきたい、
そんな感じです。

いつもと違うことをしないと、変化は起きないんですもんね!

課題はたくさんですが、自分の人生。
自分が助けないで、誰が自分を助けられるか?って感じです!
ちゃんと自分の事を助けて、
支えて、幸せにしてやりたいと思います。

うわー、本当に長くなってしまいました。すみません。
長文、失礼しました。

なんだか、エラソーなことを書きましたが、
まだ苦しいって感情に足を引っ張られることがあるので、
また、セラピーのお世話になることもあるかもしれません。

そのときはまたよろしくお願いいたしますm(__)m。

きっとこれからも杉田さんのセラピーで
変わって行く人がたくさんいるとおもいます。
杉田さんが疲れて倒れてしまわないよう、
体をご自愛くださいね。

それでは、ありがとうございました。

 

> セラピー後は、頭が体に問いかけるようになったというか、
> 体の反応を待つようになったのです。

> そして体は、さまざまな思いを映像や言葉、声にして
> 返してくれるようになりました。

セラピーをしていると、「自分の悩みを話せない」というクライアントさんが来られます。

それは、「言葉がうまく出てこないから」悩みが話せない、という方だけではなく、

中には、ふつうにお話はするのに、

「その時、どんな気持ちでしたか?」

「どうしたいですか?」

「具体的には?」

のような、「その人の気持ち」を聞くような質問をすると、突然固まって話せなくなってしまう方もいらっしゃいます。

そういう方たちの中で起きていることを、たとえて言うなら、

「本来1つであるはずのアタマとカラダが分断されている」

んですね。

過去につらい感情に長くさらされていた人は、そのつらさを「感じる」ことに耐えられなくなって、「自分を感じられなくする」ことがあります。

そういう方は、カラダに「その人の気持ち」があっても、アタマがそれをキャッチできないから、自分のことがわからず、悩みが話せないんですね。

セラピーでは、そんな方に対して、分断されているアタマとカラダをつないでいくようにサポートしていきます。

杉田 隆史

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