「人と話ができない、やりたいことが多過ぎてわからない」
と悩んでおられたクライントさんから、
個人セッション(心理セラピー)の後にいただいた感想です。
(ご本人の許可をいただいて掲載しております)
杉田 隆史 様
こんにちは。
△日に個人セラピーを受けました○○です。
その節はありがとうございました。気づいたことをご報告したくなり、
メールを送らせていただきました。
(とても長いです。ごめんなさい)私の悩みは、「人と話ができない」
「やりたいことが多過ぎてわからない」でした。それ以外にも細かくたくさんのことが絡まっている気がしていたのですが、
セラピー後の電車の中で、ジワジワと
「みんな繋がっているのでは?」
とわかりかけてきました
(本当にわかったかどうかはあまり自信がありませんが)(^_^;)子どもの頃の私は、母の愚痴を聞き、父に殴られる弟をかばい、
父の機嫌をとるのが常でしたが
最初は家族のためと思っていたけれど、
実はその役を買って出ることで、
弟の心配ばかりしている母の愛情を独り占めしたかったのではないか?
と気づきました。私が愚痴を聞けば母は話し続ける、の繰り返し。
母との時間が作れて嬉しかったのと、
「あなたの味方ですよ」とアピールしたかったのだと思います。そして杉田さんから御指摘があった
「誰かのために寄り添い過ぎると、その人は成長しなくなる」の通り、
2人で互いに成長を押さえあい、
いつまでもその世界にいたんでしょうね。気づきもせずに。
どれだけ互いに甘えていたんだろう。それにスキだと思っていた母に、一方では
「生き生きと生活して欲しいのに」と
疎ましい気持ちを抱いていたことにも気付かされ驚きました‼️
母の成長?の機会を奪っていたのは私なのに、
随分勝手なものだとも思いました。でも、そうしなければいられない程、
愛が欲しかったのだと思い、
「たいへんだったんだねー」と自分に何度も話しかけました。進路選択の度に、何がしたいかわからないと悩む息子がようやく就職し、
「もう、僕には何のアドバイスもしなくてイイからね」
と言われた時には、意味がよくわかりませんでしたが
必要以上の寄り添いはもういらないからね~ということだったんですね。
そう言える息子は成長したということ。私は、母も息子も手放さなければいけないのに、
たぶんわかりたくなくて「お世話をする」フリして
寂しい自分の気持ちを満たしていたのだと思います。母と息子。この先どう接したらいいのか?
ということも悩みのひとつでしたが、
思わぬところからスルっと紐がほどけた感じがしました。思いどおりにならない他人を嫌がったり、遠ざけたり、
また、気に入った人に急接近して嫌がられたりすることも、
ここから生まれるのではないか?と思います。あともう1つ。
「親の期待に添えなかった娘」というコンプレックス。
この存在に気付かされたのは大きかったです。私の心の奥底には
「何をやったら成功するのか」
「どんなこと(仕事含め)ができると立派な人だと思われるのか」
というヘンなフィルターがあって、
好きかどうか、楽しいかどうかが二の次になっている気がします。そこそこ普通くらいには、いろいろできてしまうことが多かったせいか
(苦手分野はもちろんあります)
無理なことにも果敢に挑戦したり、努力すればなんとかなるものと、
楽しさを封じ込める癖で生きてきたのではと思います。40年以上も!自分の本当の気持ちをわかるには、
まだ時間がかかりそうですが
曇りのない心で自分を見つめ、
少しずつ楽しさを感じられるようになったらよいな と思っております。きっかけをいただき、本当にありがとうございました。
また、お世話になります。
どうぞよろしくお願いいたします。
何の前触れもなく、長い長いメールをおくりつけ失礼いたしました。
それでは また😊
人との距離感て、子供の頃の「親との距離感」と似てしまうことがあるんですね。
もちろん、子供の頃は、その距離感でうまくいっていたり、
うまくいってなかったとしても、「その距離感でいるほうが、まだマシ」だったりするわけですが、
大人になっても、人に対してその距離感でいると、
「あれ、なんか苦しいな・・・」
って違和感を感じる方も出てくるんです。
そういう時って、その人にとっての「変化の時」だと思うんですね。
自分の心が、「もうその距離感じゃないよ」って訴えているというか。
セラピーでは、そういうタイミングで来られた方の「人との距離感を変える」サポートをしています。
(「人との距離感」についての参考記事はコチラからどうぞ)