自己分析をしたからって、やりたいことが見つかるわけではない

飛行機の機内で、お土産を

買ったことがあるあなたも
買ったことがないあなたも

こんにちは。

ゴールドブレンドの粉を入れ忘れてお湯だけ注いでしまったようでほぼ一杯飲み終わる頃に「これは白湯じゃ!1杯目のコーヒーの残り香のある白湯じゃ!」と気づくのが遅杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、いきなり、飛行機の話から入りますが、機内でお土産って売ってますよね。

私、前にCA(客室乗務員)の方から、

「最初に機内の乗客を見渡すと、後で誰がお土産買うのかがわかります」

なんて話を聞いたことがあるんですよ。

でも、そういう感覚ってわかるんです。

私もクライアントさんがセラピールームに入ってきた姿を見ただけで、

「あぁ、この方は、こんな悩みを言われるだろうな」

ってだいたいわかるんですよ。

でもですね、こういうのって別に特殊能力じゃないんですよ。

というのは、みなさんも、

「言葉にはできないけど、この人、なんか怪しい」

とか思う時ってありませんか?
で、実際、後で本当に怪しい人だってことがわかったりして。

そうやって、人って、非言語の部分でたくさん感じ取っていて、その膨大なベータベースがあるので、

CAの方であれば、過去にお土産を買った人のデータベースがあって、お土産を買う人の特徴を、言葉にはできなくても、「感覚」ではわかっているんだと思うし、

私の場合も、過去のクライアントさんの何千人のデータベースがあるから、お話しする前に悩みがわかるんだと思います。

つまり、「感覚」は、「言葉」以上に多くのことを知っているんですよね。

なので、言葉で表せるものは、自分の一部にしか過ぎないわけです。

 

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さ、ということで今回は、そんな小話を頭の隅に置きつつ、今回は、「やりたいこと探し」についてお話してみたいと思うんですけど、

最近、「やりたいことを見つける」ために

「自己分析する」

っていうのが流行っている気がするんですよね。

「自分はどういうタイプか」
「自分はどういう価値観を大切にしているか」
「自分はどんな強みがあるか」

とか、そういう分析結果をもとに、「やりたいことを見つけましょう」みたいな。

でも、私は、そういうふうに自己分析をベースにして「やりたいこと」を見つけることに、ちょっと違和感があるのは、

人間が「スキ」とか「やりたい」と思う対象って、そんなカンタンに「言葉でくくれない」って思ってるんですよ。

たとえば、「スポーツと読書、どっちがスキ?」と聞かれて、

「絶対スポーツ!スポーツ大スキ!」

っていう人がいたとしても、

そういう人だって、

「生涯の1冊と思える、むっちゃ大スキな本がある!」

ってことだってありますよね。

それから、私の「音楽の好み」の話ですけど、「こういう感じの曲がスキ」という傾向は言葉で言えますけど、

スキな曲の全部が全部「こういう感じの曲」というわけでもないし、

一番スキなミュージシャンは、間違いなく「ヴァン・モリソン」なんですけど、だからといって、ふだんはそんなにヴァン・モリソン聴かないんですよ。(笑)

それに、「人と一緒にいるのがスキだし、1人でいるのもスキ」みたいに、時に相反することがスキなことだってありますよね。

そんなふうに、人って複雑というか、「スキ」とか「やりたい」の対象って、本当にその「言葉の枠内」に収まるのか疑問なんです。

先ほどもお伝えしたように、「言葉で表せるものは、自分の一部にしか過ぎない」わけですから。

あ、ちなみに、辞書で「やりたい」という言葉を調べてみると、

「ある行為について、それを実行したい、行動を起こしたいといった欲求を述べる表現」

という意味なんですけど、

この説明に「欲求」という言葉が出てくるように、「やりたい」って、「アタマで考えること(思考・分析)」ではなくて、

「カラダで感じること(感覚)」

ですよね。

だから「やりたいこと」って、アタマで考えることじゃないと思うんです。

そんな例として、私、相談に来た方から、

「どうしたらやりたい仕事が見つかりますか?」

という質問をいただくことが多いですけど、そういう方に

「やるのがスキなことありますか?」ってお聞きすると、

「マンガ読むのがスキです」とか、ちゃんと出てくることも多いですよ。

そんな時、私は、その方に、

「では、もしあなたが、人から、
『どうしたらスキなこと(マンガを読む)が見つかりますか?』
って聞かれたら、なんと答えますか?
『どうしたらやりたい仕事が見つかりますか?』
というのはそれと同じ質問だと思います」

とお伝えすることがあります。

要は、「スキなこと」「やりたいこと」が見つかるのって、素直に心に従っていたらそうなっただけで、

それを「こうやったら見つかる」みたいに言葉で説明できるものでもないと思うんですよ。

だから私は、「やりたいこと」っていうのは、

「言葉にならないような感覚に身をゆだねていく先にある」

って思ってるんです。

なので、「やりたいこと」を見つけたいなら、やっぱり自分のカラダの「感覚」を大切しないといけないわけですけど、

いろいろとコジらせて、アタマからのノイズが大きくなり過ぎて、カラダの「感覚」を自分自身でキャッチできなくなっている方もいらっしゃるんですよね。

(そんな話はコチラからどうぞ)

「考える」と「感じる」

やりたいことを見つけるには、「薄い気持ち」を大切にする

親が認めてくれなかった自分がキライ

だから、私は、ワークショップセラピーで、そういう方が「感覚」をキャッチできるようにするサポートしてるわけですが。

あ、といっても、今回の話は、自己分析の意味がないとか言いたいわけじゃないんですよ。

自己分析をすれば、自分がわかるので、自分の行動を説明できたりして、安心感はあると思うんです。

ただ思うのは、

「自己分析をすれば、自分のことがわかるかもしれないけど、自己分析をしたからって、やりたいことが見つかるわけではない」

とも思うんですよ。

というのは、自己分析をベースに「やりたいこと」を見つけたいなら、分析結果を元に

「自分で行動して検証しないといけない」

わけですよね。

たとえば、自分が、「△△という価値観を大切にしている」ということがわかったとして、その分析結果を「やりたいこと」に結びつけるためには、

自分が「△△」という価値観を大切にできる「こと」や「場所」を「意識的に」探さないといけない。

それって、けっこう大変な作業ではないでしょうか。

なので、「自分のことがわかれば、やりたいことが見つかる」と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、

実際は、「自分のことがわかった」ところで、意識的に「やりたいこと」を見つけるのは大変てことなんですよ。

それを「パートナー探し」に例えて言うなら、

自分の「スキなパートナーのタイプがわかった」としても、実際に「パートナーが見つかるか」って別の話ですよね。

いざ、目の前にタイプの人があらわれたとしても、あなたがその人を本当にスキになるかわからないですし(「自分では全然タイプと思っていなかった人とうまくいって結婚した」なんて話もよくありますよね)、

それに、あなたがスキでも、相手からフラれることもありますよね。

そう考えると、私は、自己分析をした人がほうが、自己分析をしていない人より、本当に「やりたいこと」が見つかる確率が上がるのか疑問なんですよ。

自分の「スキなパートナーのタイプ」とかよくわからなくても、パートナーが見つかっちゃう人は、見つかっちゃいますからね。

それに、そもそも、「やりたいこと」が見つかるって、運や縁とか「不確定要素のほうがはるかに大きい」わけですから。

「友人から借りたマンガがすごく面白くてハマった」という人が、もし友人から違うマンガを借りていたら、マンガにハマらなかったかもしれないですよね

まさに、「運」とか「縁」。

そういうのが、

「自己分析をすれば、自分のことがわかるかもしれないけど、自己分析をしたからって、やりたいことが見つかるわけではない」

ってことの意味です。

それなのに、「やりたいことを見つけたい」という人が、自己分析マニアになっていることって多い気がするんだよなぁ・・・

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

 

杉田 隆史

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