青春時代、盗んだバイクで
走ったことのあるあなたも
走ったことのないあなたも
こんにちは。
道にいたネコに「ニャ~」と挨拶したら、かなり真剣に逃げられ杉田です。
1週間お疲れさまでした!
あ、みなさん、どうでしょう? このブログってどんな方が読んでいると思いますか?
エッ、ネガティブな人?
かもしれませんね。ブログタイトルがタイトルだけに(笑)。
あ、もちろん私がブログを読んでくださっている方全員を把握することは不可能ですけど、
一部の方は、私の個人セッション(心理セラピー)やワークショップ・イベントに来てくださるので、実際にお会いすることができるわけですが、
ホント、みなさん「イイ人」が多いんですよ。
私がセラピストとしてではなく、ふつうにお会いしたとしても、心から応援したくなるような方ばかりで、
「そうそう、私は、こういう人たちのためにセラピーをしたかったんだよなぁ」
って、いつもシミジミ思っているんです。
あ、なので、私のクライアントさんって、「イイ人」が多いわけですけど、その「イイ人」をもう少し具体的に言うなら、
「盗んだバイクで走れなかった人」
だと思っています。
あ、意味がわかんないですよね。ではその意味をご説明させていただくと、あ、ほら尾崎豊さんの有名な曲「15の夜」に、
「盗んだバイクで走り出す」
って歌詞あるじゃないですか。
その歌詞の真逆にいる人が、「盗んだバイクで走れなかった人」です。
あ、で、尾崎豊さんの歌詞の中に出てくるような人も、悩んでいるとは思うんですけど、
「悩んでいる苦しさを外側に向かって発散できる人」じゃないですか。バイク盗んだりして。
でも同じ悩んでいる人でも、私のクライアントさんとか、かつての私のような、「盗んだバイクで走れなかった人」って、イイ人だったり、マジメだったりするので、
悩んでいる苦しさをあまり「外側」に向けて発散できないんですよ。
だから、他人から見れば、そんなに悩んでいるようには見えなかったりするんですよね。
なので、世間からはスルーされる。「ふつうに見えるから、大丈夫でしょ?」って。
でも「盗んだバイクで走れなかった人」って、悩んでいる苦しさを外側に向かって発散できないから、その対象が「内側」に向いて、自分を責め続けるんですよ。
こういうのも「盗んだバイクで走る人」に比べたら、ぜんぜん地味だけど、けっこうツラいんことなんですよね。
なので、私、このブログを始めた時から、こういった世間では発見されづらい、
「盗んだバイクで走れなかった人の、言葉にならない想いを言葉にしていきたい」
ってずっと思ってきたんです。
このブログのコンテンツ、私のやっているサービスは、すべて「盗んだバイクで走れなかった人」に捧げるものだと思っていただけたらと。
あ、今の私は、だいぶ盗んだバイクで走れるようになりましたよ。というか走り杉田かも(笑)。
さ、ということで、今回は、
盗んだバイクで走れなかった人をお待ちしておりまーす!
という話でしたとさ。
それでは今回はココまでにします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!!
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