「人を助ける」ということの本当の意味

「悩みと上手く付き合う方法 」
「はじめての催眠ワークショップ」

の2つのワークショップにに参加された方がシェアしてくださった気づきを以下に掲載します。

(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

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気づき、でかいやつ、来ました(T_T)。

例によって長文ですが、自分の心の整理のために書いているので、ご容赦ください。全部読まなくても大丈夫です。

先週木曜に、祖母が癌で余命1ヶ月との知らせを受け、急遽金曜から3泊4日で実家に帰っていました。

まだ意識がはっきりしているうちに祖母と話したかったのもありますが、痴呆の祖母を10年以上介護してきた母の支えになりたかったのが一番の気持ちです。

今回に限らず、母を助け守ることは、父が事故で亡くなって以来の私の人生の目標のひとつであり強い願いでした。
母もそんな私を一人前の大人のように扱ってなんでも相談していました。

母は外では○○病院の婦長まで勤め上げた人でしたが、家では家族に甘えたかったのだろうと思います。

他人には穏やかで優しかったようですが、自分には厳しく、子どもをちゃんと褒めることのない人でした。

だから、私もずっと満たされない気持ちでした。
大人になって、役に立つことも増えたはずですが、いつも今一歩届かないもどかしさがありました。

私は15年前に首都圏に引っ越してしまったので、年2回帰省する以外は毎週電話で話を聞いていたのですが、

特に秋ごろから祖母の衰弱が目立ってきて自宅での介護が不可能となり入院させて以来、病院への不満、祖母の病状への不安、自宅で看てやれないふがいない気持ちなどが噴出して、いくら私が慰めても気が休まらない様子でした。

そこで帰省した金曜の夜、顔を見ながらじっくり話を聞くことにしました。
やはりさまざまな不満や不安が噴出しましたが、WSで教わったことや、正ネガ推薦本で学んだこと、フォーカシングも使ってみたりしながら、あくまで母の気持ちに寄り添って話を聞くように努めました。

いつも論理的に話を整理して進めようとする私には初めての試みです。
そうして丹念に母の気持ちの流れを追っていくと、母の悩みの核がふっと浮かびあがってきました。

母が本当に恐れていたのは
「自分の母親(祖母)のことを本当に愛し大事に思っていることを、最期まで行動で示して伝えたいのにできない」ということでした。

そこに触れたとき、母の苦しみにゆがんだ顔からすっと力が抜け、はらはらと涙が落ちました。

私が「お母さんがそう思っていることを、今度おばあちゃんに話してあげたらいいんじゃないかなあ」と言うと、
母は「ああ、そうだねぇ」と穏やかにうなずきました。

その後は、祖母の見舞いに行きつつ、母が祖母との貴重な時間に集中できるよう、前向きな気持ちで葬儀社との打ち合わせなどのもろもろを一緒にこなし、

雑事を整理しました。いざというとき、当日中に私が駆けつけられるかわからないので、母がひとりでも不安のないようにして置きたかったのです。

母は金曜の夜以降、本来の穏やかで明るくユーモアのある自分らしさを取り戻していました。

また、介護を始めてからどんなに疲れても眠りが浅く、必ず睡眠薬を服用していたのに、金曜の夜から自然と眠くなるようになって薬が必要なくなったこと、
ぐっすり寝たら長年苦しんできたひどい肩こりや首の痛みがだいぶ楽になったと話していました。

そして、4日目、私が東京に帰る日のことです。
荷物をまとめている私に、母が少しはにかみながら
「お姉ちゃんが来てくれて本当に助かったわ。ありがとう。
前から思っていたけれど、あなたは人にチカラを与えられる人だわ。」
と言ってくれました。

私の長年の望みがかなえられた瞬間でした。

父が事故で急死したとき、ほんの4才だった私が強く心に誓った
「おかあさんはわたしがまもる」という、
母の助けになりたいという願いがやっと、やっとかなえられました。

しかしそのとき、あふれそうになる涙とは裏腹に、冬の月のように冴え冴えとした認識が、体を走り抜けていきました。

「私はまちがっていた。ずっと、なにもかも、やり方をまちがえていた。
今、やっと、人を助けるとはなにかを悟った。
私が良かれと思ってやってきたことはすべて、人を助けるどころか、気づきの機会を奪い遠ざけることばかりだった。」

人は、自分の力によってのみ、自分を助けることができるということが本当の意味で腑に落ちたのです。

誰かを助けたいと思うとき、私が一番気をつけなければいけなかったのは、
その邪魔をしないこと、
力を奪わないこと、
気づきの機会を奪わないこと、
だったのではないか、と。

天は自ら助くる者を助く、という言葉があります。
ひっくり返せば、自分を助けようとしない者は天でさえ助けることはできない、という風にもとれます。

実は以前投稿した、私が苦しめられてきた無邪気なモンスターのこと、
心の片隅でまだほんのちょっぴりだけ
「私がどうにかしてあげられるのではないか」
という気持ちがあったんですけど、
今度こそすっぱりあきらめることができました。

「自らを助けようとしない人は、天にも助けることはできない。
私が助けようとして力を尽くしてきたことは、その人の依存を助けることにしかならなかった。

例え、その人が永遠に気づく機会を逃し続けるとしても、その人自身にしかどうにもならないこともあるのだ」というあきらめです。

なんとも悲しくも冷たいように聞こえる認識ですが、私が人を助けようと思うとき、これがないと干渉しすぎになっちゃうんですよね。
自分の分を守り、相手の分を守ること。

過ぎたるは及ばざるがごとし。それをわきまえたからこそ、今回ようやく母の気づきの手伝いができたのですから。

しかし、がーっと書き上げて振り返ると、これもまたヒーローズジャーニーなんでしょうかね。

4才の私に刻まれた「おかあさんはわたしがまもる」って天命のようでもありますが、だとしたらあまりにも壮大すぎる(笑)。

ともあれ、すごく大きな気づきでした。
なんていうか、世界の秘密に触れた気分です。
世界ふしぎ発見!スーパーひとしくんドーン!って感じです
(古いネタですみません)。

これでもう、人の助けになれないことで無用な罪悪感や後ろめたさを感じることもなくなるでしょう。

私の行動を制限していた大きな縛りが解かれたのを感じます。
きっかけを考えると言い方はおかしいかもしれませんが、とても充実した3泊4日でした。

母と一緒に、祖母のことを覚悟し受け入れることができたのもよかったです。
その時が来たら、やっぱり泣くでしょうが、後悔はないと思います。

それでは、長文失礼しました。ありがとうございました。

(匿名 女性)

 

もう私が何を付け足すこともありません。

本当に素晴らしい。

「クライアントさんは、本当はみんな最初から大丈夫なんだ!

元々元気になれる力を持っているんだ!」

今の私はいつもそう思えています。

杉田 隆史

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杉田 隆史

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