「人と親しくなれない」

と悩んでおられたクライントさんから、
個人セッション(心理セラピー)の後にいただいた感想です。

(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

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「人と繋がったことで」

ふと思いついたことを。

私は子供の頃からひとりで自分の世界を構築するのが好きだった様に思う。
思う、と敢えて表現したのは杉田さんのセラピーを受けるまで忘れていたからだ。

幼稚園や子ども会の集まりで、みんなが鬼ごっこやかくれんぼを楽しんでいるときも、私はひとりを選んだ。
夢中で砂の城を作り、残酷にもアリの巣を破壊し、道路にチョークでお絵かきをして遊んでいた。

母親が子ども連れで遊びに行くと、「子供たちの輪」と「ママ友の輪」で分かれると思うのだが、私は子どもでありながらママ友の輪に入っていた。(笑)

自分と同い年である子どもたちとどう接していいか分からなかったからだ。
ママ友の輪にいれば、必ずやさしい大人が話しかけてくれる。
意思疎通のむずかしい同級生と一緒にいるより、はるかにラクなのだ。
その辺は、昔から狡賢かったらしい。

小学生になった私は、休み時間中も相変わらず教室の片隅で絵や物語を描いていた。
友達ができない私を心配した先生が、絵描き帳を取り上げ、強制的にドッジボールに参加させると、私は静かに激怒し、誰も居ない放送室へ逃げた。

放送室はとても静かでいい。
今も鮮明に思い出せる防音室の静寂。
小学校ではここだけが、私の天国だった。

ちなみに私は今もドッジボールが死ぬほど嫌いである。
人にワザとボールを当てて、点数を稼ぐ。
野蛮すぎはしないか。
私は変わり者の上運動音痴だったため、スポーツ万能男子達の恰好の的であった。
自分がたまたま投げる側になっても、当てられるのが怖い人の気持ちが分かるため、チャンスがあっても本気で投げる事は無かった。
そうすると、クラス全員から責められるのだ。
そりゃそうだ。
今でこそ、その気持ちが分かるのだが、本気でやっている人からすれば、迷惑極まりない。

でも、私は投げたくない。
当たったら痛いって分かってるのに、投げる意味がわからない。

頑固な私は、最後まで自分の意思を曲げなかった。

すると、どんどんクラスで浮くようになっていった。

生き辛い。
世の中はどうしてこうも生き辛いのだ。
小学3年生にして、私は世の中を嘆いていた。

今、当時の私に何か言えるなら、
「おまえの世の中は狭い」
と教えてやりたい。
生き辛いのは、おまえの今の環境だけだ、と。
今嘆いても仕方ないが、私が親なら自由な環境に転校させる。

それから思春期に掛けて、私は更に孤独を選ぶようになった。
体育ではペアを組んでくれるクラスメートが居ないため、必ず先生にお願いした。
修学旅行も、遠足も、隙あらば一人で行動した。
クラスに友達は一人もいなかったが、私はインフルエンザで休んだ2週間以外は皆勤賞だった。

自分でもなんて真面目なヤツだったんだろうと思う。
自分から孤独を選んだはずなのに、浮いた自分が死ぬほど嫌いで「助けて」と言えなかった。
辛くて、でも何が辛いのかも良く分からなくて、私はメチャクチャにモノを食べた。
食べている時だけは、生きている感じがする。
当時は病名すら知らなかったが、多分私は過食症だった。

今もストレスを感じると食べたくなくても食べてしまうことがあるのは、その名残だと思う。
ラッキーなことに?最近は胃が弱くなり食べ過ぎることができなくなった。
不幸中の幸いである。

生き辛さからどうしても抜け出したかった私は、高校生のときから本格的に人付き合いを勉強するようになった。
はじめはうまく行かなかったが、人の言いなりになってみたり、依存しすぎてしまったり。(それは、また長くなるので割愛。)
今思えば、恥ずかしいことは沢山あるが、それでもこの15年間で得たものは大きい。

20代後半になる頃には「どこのグループにも割と馴染める」という特技を手に入れた。
未だ、恋人や親友などの特別な関係の形成については良く分からないのだが、それはこれからの課題として。
ここまで成長してできた自信は私にとって宝だ。

ここでタイトルに戻るが、人と繋がるようになってみて分かったことがある。
それは「孤独に過ごしていた頃よりもひとりで行動しやすくなった」ということである。
ひとりで居ても「困ったときは私を助けてくれる人がいる」という揺ぎ無い安心感があるのだ。
そのお陰で、私はいろんな事に挑戦できるようになったし、更に人と繋がれるようになった。

人と繋がることは群れることじゃない。
人と繋がることは息苦しいことじゃない。

人との繋がり方は、人それぞれである。
自分の軸さえしっかりしていれば、人との心地よい距離は選べるのだ。
どのグループに入っても、自分とそのグループの距離を決めるのは自分である。
辛い集まりなら、関わり方を少しコントロールすればいい。

とは言え。
私は他人に流されることは滅多に無いが、流されることで思わぬ道が拓けたりするので、
たまにブレたりするのも悪くない。
と、最近学んだ(笑)。

そうやって、ブレたり、自分を貫き通したりして、丁度いいところを見つけていきたいと思う。

人と繋がることでできた、ひとりの空間を大事にしていきたい。

 

2014年1月11日(土)に開催した「悩みとうまく付き合う方法」ワークショップは、私にとってのターンニングポイントになりました。

このワークショップ、参加された方がフェイスブックで「秘密のグループ」を作って、それぞれが、課題に挑戦し、気づきをシェアし、なかなか人に言えなかったことをカミングアウトし、お互いに励まし合って、一歩一歩進んでいったんですね。

私は、そんな姿を目の当たりにして、「みんな、元々能力があるんだ!良い仲間とつながると、みんな能力を発揮できるんだ!」と、ますますクライアントさんの可能性を信じられるようになりました。

それ以来、私は、ワークショップやイベントで、「人をつなげる」ということを強く意識するようになります。

私のワークショップやイベント参加される方は、イイ人というか、やさしくて受容的な方が多いですから、人と接するのが苦手な方は、「人と接する練習」だと思っていらしてくださいね。

実際に仲の良い友達ができて、「大人になってから、親友できると思わなかった」なんて言っている方もいらっしゃいますよ。

それでは最後に、私が前にツイッターでつぶやいたことをご紹介して終えたいと思います。

杉田 隆史

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