可能性がないという可能性

ココロのコラム(雑記)

今の自分は「自分らしく生きている」と

思えるあなたも
あまり思えないあなたも

こんにちは。

ヤマトの営業所のカメラにいつもQRコードをうまく読み込ませられな杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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あ、どうでしょう、みなさん、今の自分って「自分らしく生きてる」って思えますか?

エッ、「そんなふうに思えてたら、こんなブログ読んでない」ですって?

で、で、ですよね(笑)。 実際、私も個人セッション(心理セラピー)をしてると、

「自分らしく生きたい」

ってこと言われるクライアントさんにたくさんお会いするので、「自分らしく生きたい」って多くの方が悩んでることなんでしょうね。

あ、で、私、そういうクライアントさんたちや、プライベートでも、

「杉田さんは、自分らしく生きてますね」

みたいなことを言われることがけっこうあるんですけど、そう言われると、ちょっととまどうんですよ。

というのは、私自身の感覚としては、あまりそう思えてないというか、

私の人生、ほとんどが「なりたい自分になれない」連続で、いろいろやってみても、あれもダメ、これもダメってなって、

結果的に「第18志望くらいの自分(心理セラピスト)になった」って感じなんです。

(その辺の詳しい話はコチラからどうぞ)

「なりたい自分になれない」ってところがスタート
「なりたい自分」に なっているあなたも なっていないあなたも こんにちは。 スパイスカレーにチャレンジしようと思って、業務用スーパーで「ターメリックありますか?」と聞いたら、「ターメリックはないけど、ウコンならありますよ...

 

だから、ぜんぜん自分を貫いて人生をコントロールしてきたっていう気がしないですし、

今も昔も、「自分らしく生きるぞ!」とか意識したことないし、いつもままならない現実をなんとかしようと、もがいてきただけって感じがするんですよ。

だから、「杉田さんは、自分らしく生きてますね」って言われると、「いや、そういう感じでは・・・」って思うんです。

それよりも私から見た、自分の生き方をあらわすのに一番ピッタリの言葉は、

「ストレス耐性が低い」

ってことだと思ってます。

あ、人が行動する動機って、

① 欲求を満たすため   「○○したい!」
② 苦痛から逃れるため  「○○になったらマズイ!」

のどちらかしかないですから、

たいていの人が耐えられるようなストレスに耐えられない私は、ナチュラルに②「苦痛から逃れるため」の行動が多くなってしまうわけですよね。
だからすぐに会社を辞めてしまったりとか、結果、動きの多い人生になってしまう。

それが他の方から見れば、「嫌なことをやらない覚悟を持った人」に見えてしまうのでしょう。だから「自分らしく生きている」って思われてしまう。
本当はだだ「ストレスに耐えられないだけ」なのに(笑)。

でも私は、そうやって「ストレス耐性が低い」ってことに振り回されながらも、

結局、「ストレス耐性が低い」という自分を受け入れて、そういう自分も大切にしたから今の自分があるんだなとも思うんです。

んー、まさに「ストレス耐性が低い」ってことが私の生き方を決定づけているなぁ。

あ、なんか今この記事を書いてて、為末大さんの「諦める力」の言葉が浮かんできましたよ。

 

人生は可能性を減らしていく過程でもある。
年齢を重ねるごとに、なれるものやできることが絞りこまれていく。

可能性がなくなっていくと聞くと抵抗感を示す人もいるけれど、何かに秀でるには能力の絞り込みが必須で、どんな可能性もあるという状態は、何にも特化できていない状態でもあるのだ。
できないことの数が増えるだけ、できることがより深くなる。

人間は物心ついたときにはすでに剪定がある程度終わっていて、自分の意思で自分が何に特化するかを選ぶことができない。
いざ人生を選ぼうというときには、ある程度枠組みが決まっている。

本当は生まれたときから無限の可能性なんてないわけだが、年を重ねると可能性が狭まっていくことをいやでも実感する。
最初は四方に散らかっている可能性が絞られていくことで、人は何をすべきか知ることができるのだ。

 

私の生き方は、「ストレス耐性が低い」ゆえに動きが多くなって、

必然的にいろいろしないといけなくなり、

でもあれをやってもダメ、これをやってもダメってなって、

結果、自分の可能性が絞り込まれていったんでしょうね。

なので、今の私は、「あぁ、もうオレはこれしかできないんだな」って思えるんですよ。あきらめも入った意味で。

ヘンな言い方になりますが、

「可能性がないという可能性に気づいた」

とでもいいますか、

自分がいろいろなことに「可能性がない」って気づいたから、逆に

「なにが自分の可能性になるのかわかった」
「自分がわかった」

みたいな感じなんです。

でも自分の可能性は無限だと思っている人は、絞り込まれていないから、逆に「自分らしさ」がわかりづらいんじゃないかと。

ね、ここまでの話で、私は強い意志を持って自分を貫いてないし、人生をコントロールできてないのわかるでしょ?

昔は、ままならない現実をなんとかしようと必死だったし、
今も、「自分はこのままやっていけるのだろうか?」ってよく思うし、

ぜんぜん「自分らしく生きる!」とか意識する余裕がなかったんですよ。

今の私は、やりたいことをやっていますし、「自分らしく生きていない」とは思ってないですけど、

他の方から「自分らしく生きてますね」とか言われるほどでは・・・というのが正直なところなんです。

 

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あ、でも思うんですけどね、真に「自分らしく生きている人」って、「自分らしく生きるぞ!」とか思ってないと思うんですよ。

当たり前過ぎて、そんなこと意識に上ってこないというか。

なので、SNSでいつも幸せアピール/イケてるアピールばかしている人って、実際はそうでもないのは みなさんご存知のように(笑)、

「自分らしく生きる!」とかやたらと言っている人って、

  • 人からそういう人だと思われたい人
  • そう言って意識してないと、すぐに自分らしくない生き方をしそうになる人

なんじゃないかと。それって真に「自分らしく生きている人」ではないと思うんですよね。

なので、私は、「自分らしく生きる」って、結局、

「自分らしく生きるぞ!」とか意識しなくなった時に、真に自分らしく生きられるようになるんじゃないかって思ってるんですよ。

あ、この話、ちょっと前に書いた、この記事と似てますね。

探しているうちは、見つからない
自分の「やりたいこと」を 探しているあなたも 探していないあなたも こんにちは。 喜んでもらえると思っておでんに豆腐を入れたら「豆腐はいらない」と言われてしんみりし杉田です。 1週間お疲れさまでした! ...

 

さ、ということで最後にまとめますと、

杉田は、もしかすると「自分らしく生きてる」なんて思われているかもしれないけど、実際はこんなもんですよ、

「自分らしく生きるぞ!」とか意識してないですよー

ってな話でしたとさ。

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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