「ショーシャンクの空に」という映画を
ご存知のあなたも
ご存知ないあなたも
こんにちは。
スーパーでお母さんに欲しいものを買ってもらえなかった女の子が殺し屋みたい目つきになっていて笑いが抑えられなさ杉田です。
1週間お疲れさまでした!
あ、みなさん、「ショーシャンクの空に」っていう映画をご存知ですか?
名作っていわれる映画なのでご存知の方も多いと思うんですけど、私も大好きな映画で今まで何度も観てきたんですが、
観るたびに、いつもこの2つのセリフが気になっていたんですよ。
(以下、ややネタバレを含みます)
- Hope is a dangerous thing. (希望は危険だ)
- Hope is a good thing. (希望は良いものだ)
この2つのセリフ、一見、反対のような意味を言ってますけど、私、映画を最初に観た時は、「そうだよねー、やっぱり希望って大切だよねー」くらいにしか思ってなかったんですよね。
でも心理セラピストとして仕事をするようになってから、2つセリフの意味をより実感するようになったんです。どちらも正しいぞと。
というのは、個人セッション(心理セラピー)をしていると、
① 人は、希望が持てると元気になる
② 人は、希望を手放すと元気になる
って、その両方があることがよくわかったからなんですよ。
あ、でもこれ、みなさんから見れば、「① 人は、希望が持てると元気になる」っていう意味は、わかりやすいと思うんですね。
自分が悩んでいる時、
「私にもできるかもしれない!」
「私も○○になれるかも!」
「私もここから抜け出せるかも!」
みたいに「希望」が持てた時って、元気になるのはわかるじゃないですか。
でも、「②人は、希望を手放すと元気になるってどういうこと?」って思いませんか? ふつう希望がなくなったら元気なくなるでしょって。
でも、「②人は、希望を手放すと元気になる」って本当にあるんですよ。
そんな例を2つほどあげますと、まず1つ目は、私、親に対してわだかまりのある人が、
「子供のころに感じていた親に対しての期待をあきらめる(親が変わってくれるんじゃないか、本当は変われたんじゃないか、という希望を手放す)と、人は元気になる」
ってケースは何度も見てきたんです。
これどういうことかというと、「子供のころ、親が自分の期待に応えてくれなかった」と思っている人って、
「親が応えてくれなかった期待を、他人に高いレベルで求める傾向がある」
んですよね。 特に、
- パートナーなど「身近な人」
- 会社の上司など「親的な存在の人」
に対して強く期待する傾向があります。
たとえば、子供の頃、「親にわかってもらいたいのに、わかってもらえなかった」みたいに思っていた人って、他人に対して、
「私のことをわかって欲しい!」っていう期待が大きくなりがちになるわけですけど、
期待って大きくなりすぎると、「他人が自分の期待の応えてくれない」って感じることが多くなるから傷つくことが増えるじゃないですか。
なので、他人への期待が高い人って、人間関係がうまくいかなくなって悩むんですよ。
そういう人が元気になるには、原点である、
「子供のころに感じていた親に対しての期待をあきらめる」
ってことができるようになると、なぜかそんなに他人にも期待しなくなるんです。
そしてそれができると、他人へ期待が低くなるたけではなく、
「親の不完全さを受け入れること」は、「あなた自身の不完全さも受け入れる」ってことにもつながるので、生きるのが楽になるんですよね。
そうすると、他人にも、自分にも、寛容な人になれるわけです。
あ、こういう話をすると、
「親が期待に応えてくれないことくらいわかっているよ。とっくにあきらめているのに元気なれない」
っていう方もいらっしゃると思うんですけど、
たいていそういう方って、「アタマでは」親への期待をあきらめているんですけど、「カラダでは」親への期待をあきらめていないですよね。
要は、「チクショー、本音は納得いかないぜ!」なのに、あきらめたフりしている。
そんな時は、カラダに残っているネガティブな感情を処理することが大切なんです。すると、本当にカラダ全体から「もうこの件はいいか」って感じになれるんですよ。
(その辺の詳しい話はコチラからどうぞ)

それから、もう1つの「②人は、希望を手放すと元気になる」って例をご紹介しますと、
たとえばですが、すごくやりたい仕事だけど、なかなか求人が出ない職種ってあるじゃないですか。
そういうのを目指している方って悩むわけですよね。このままそのやりたい求人を待ち続けるほうがいいのか、もうこの辺が潮時なのか。その葛藤が苦しい。時間だけが過ぎる。
そんな方が個人セッションの中や、その後に、なにか思うことがあったようで、
「すごくやりたい仕事だけど、2年に1回くらいしか求人が出ないし、求人が出たとしても受かるかわからないし・・・・・もうこれ以上待つのは無理ですね」
みたいに、やりたい仕事をあきらめることを決心することがあるんですよ。
そういう時って、その方はすごくガッカリすると思うんですよね。
でもその後を拝見していると、さぞ落ち込んでいると思いきや、しばらくすると、けっこう元気にやっていることが多いんですよ。
なのでホント、「②人は、希望を手放すと元気になる」ってあるんだなって実感するんですよね。
あ、昔、カウンセリングを習った先生から、
「人は、真実を見ると癒される」
ってことを教えていただいたんですけど、真実を見た人は、その時はショックを受けるけど、その後、なぜか癒されて楽になるんですって。
なので、「すごくやりたい仕事をあきらめる」とかって、当たり前ですけど、あきらめた時は、すごくショックだし傷つくわけですけど、
その後、なぜか元気を取り戻すんですよね。 真実を見て受け入れたから。
あ、この話って、好きな人にフラれるのが怖くて告白しなかった人より、好きな人に告白してフラれてショックを受けた人のほうが、その後スッキリして前を向けるのと似てるかもしれません。
好きな人にフラれるのが怖くて告白しなかった人のほうが、「あの時、告白しておけば・・・」とか反芻して、その後 長い間引きずったりしますよね。
で、このことからも言えるのは、
「悩んでいる人は、真実を見て見ぬフリしている」
ってことなんですよ。
ここであげた例でいえば、
「親は、けっして自分の期待に応えることができない」
「自分はあの仕事することができない」
という真実を見て見ぬフリをしているわけです。
それにしてもこの、「悩んでいる人は、真実を見て見ぬフリをしている」って、なかなかハッとする視点じゃないですか?
その視点から見ると、私が長い間悩んでいたことは、
っていう真実を見て見ぬフリしてたから悩んでたんだって思いますし、
私、今でも自分が悩んでいる時、
「自分はなにを見て見ぬフリをしてるんだろう?」
って考えますもん。
これ考えると、けっこうハッとすることあるんですよ。
さ、ということで長くなりましたが、最後に質問です。
あなたが悩んでいるのは、希望が持てないからでしょうか?
それとも、希望を手放せないからでしょうか?
あなたは、どんな真実を見て見ぬフリしているのでしょうか?
それでは今回はココまでにします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!