「自分の本当に思っていることが言えない」という悩み

個人セッション(心理セラピー)体験者の声

「自分の本当に思っていることが言えない」

と悩んでおられたクライントさんから、
個人セッション(心理セラピー)の後にいただいた感想です。

(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

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先日は貴重なお時間をありがとうございました。

帰ってきてさっそく「成長が止まっている人」の記事を読んだんですが、さすがというべきか、まさにそのとおりでした(笑)。
(私のパターン=特徴は2と3がぴったりかと…)

セラピーの後、いろいろ考えながら駅の方へ歩いていったんですが、頭痛がどんどんひどくなって吐き気もしてきて、

「自分はこんなに怒りや、諸々の(負の)感情を持っていたんだ」
と初めて自分の無視していたことに気づけたような感じがします。

親を憎んでいる、というのは、意識的にも無意識にも(多分)分かっていたんですが、セラピーの中で怒りをぶつけるような作業をしてるとき、

「憎んでいる」というより、私は「親に殺意を抱いて」いて、でも真っ当に考えると人を殺すって、同じ人間としてどうなの?
みたいな一片の理性みたいなのがあったのを感じました。

杉田さんに「椅子を倒してください」って言われた時、その殺意を認める(自分がまるで人でなしみたいな)ことになったら駄目なんじゃないか、
というような気持ちがどこかにあって上手く怒りが発散できなかったのかなぁ、なんて今更ながら思いました。

そんな「自分で認めたくない気持ち」だから無視していたのかなあ、
なんて気持ちをちょっと掘り下げることが出来たような気がします。

いいか悪いか別にして自分の気持ちであることには間違いないのですから、気持ちがあることを素直に認めてあげればいいんですよね……。

帰りのバスの中で、セラピーのことを振り返って自分の気持ちを手帳に書いていたときに、「大事にされたかった」という言葉が頭の中にぽんと浮かんできて、なぜかそのとき泣いている自分がいました。

多分、それが今まで悩んでいたというか、
それを誰かに認めてほしかったというか、
「許可」されたかったんだなぁと……。

でも、大事にされるのに「許可」はいらないし、何より、自分を大切にすることにもいちいちいいですよ、ダメですよ、
なんて許可は必要ないですよね……。

誰かに許可されたい、大事にされたい、ではなくて、ちゃんと自分で自分を大事にしてあげればいいってことを、頭だけじゃなくて、身体もちょっとは実感したのかな、と……。

インターネットで見つけた人の言葉を借りてしまうのですが↓

周りの評価や親に認めてもらいたいという子供の心が見え隠れしています。
これは過干渉による親からの見捨てられ感(正体は幼児の心)です。
「周りから褒められたい」「がんばったね」
と言われることを期待するのではなく、まずは

「自分でここまでがんばった!!!!」

と自分で自分を認めてあげて下さい!
人の評価なんかどうだっていいんです。

自分で自分を認めてあげられないから親に(絶対に返ってこない)見返りを期待してしまったり、周りの評価を気にしてしまうのです。

↑自分はまさにこれで、返ってこない見返り(というより、ああしていい、こうしていいという許可だったり大事にされているという安心感のようなもの)を求めてずーっと彷徨っていたんだなぁと。

それが仕事だったり私生活にも影響が与えて、なんだか何をしても(例え何かしらの評価が自分に与えられてプラスになっても)

意味がないと思ったり、混乱してどうしたらいいか分からないと思考が停止してしまったりして……。

例えば食器を片づけるだとかお風呂を洗うといった家事をすると、「私がやるって言ってるのに何をしているの」と逆に怒られたり、
やってなかったら当然「何でやってないの」と親の機嫌次第の返答がいつも返ってきました。

だから何かをするのにはまず
「親の機嫌がいいこと」を確認しなければいけない=許可がいるんだと、
どこか無意識に思っていたのかもしれません。

仕事のことで悩んでいるとセラピー中でお話しましたが、考えてみれば会社がいかにもブラックといいますか、
おかしいんだからさっさと転職するでも辞めるでもすればよかったのに、自分の身を守るという、まともな思考を持ち合わせていなかった。

つまり辞めてもいいという許可を親なり友人なり誰かからほしかったんでしょうね……。

自分が辛いなら経歴に傷がつくとかはどうあれ、ちゃんと自分で自分の身を守ってあげればよかったのに、いつまでも他人の力を必要としていて

ぐだぐだして自分でストレス作ってしまって、だから自傷行為に走ったりしたんだろうと、ようやく腑に落ちたような気がします。

それから怒りの発散なのですが、いい方法(?)が見つかりました。
お風呂で、溜まってるお湯をバシャバシャ殴ったり、湯船に手桶を叩きつける方法です。

これなら物を投げつけて壊したりすることもないし、
ばしゃばしゃ大きな音が出るから気持ちを「ぶつけている」感じもしますし、
一応自分の手で殴ってるから、
ちゃんと自分で自分の気持ちを発散している感じが強くて、私の中でしっくりくる気がしました。

何かと自分の感情を外に出さず抑えて我慢しがちなので、これで自分の中の怒りや、処理できていない感情を少しずつ小さくしていけたら、と思います。

セラピーを受けるのが初めてだったので内心どんなことするんだろう…と緊張してガチガチして、しかも安全な場所だと分かっていても、やっぱり見えない親の顔色を気にしてしまい、

セラピー中も自分が何をしてるんだろう?
みたいな混乱だったりぼーっとしたりでぐだぐだしてしまって申し訳なかったんですが(汗)、

今になってじわじわセラピーの効果が湧いてきたというか、杉田さんの言葉を借りると「心の風通しがよくなった」気がします。

変な言い方かもしれないのですが、前を向いてもいい、成功するとか失敗するとかは別にして「自分の力で頑張っていい」んだと、初めて気づけたといいますか……。

不思議と抑圧していた自分の気持ちがぽつぽつ浮かんできて、今まで見て見ぬふりしていた自分と少しは上手く付き合っていけるかも、
と、なんともいえない自信?がほんのり湧き始めています。

それだけ自分を客観的に、といいますか、自分の存在がどこか他人みたいに思っていたんだなぁ、みたいな……。

それを頭だけじゃなく、身体にもしっかり伝えていけたら、なんとなく毎日鬱々して落ち込んでいた気持ちも一日一日軽減されてくるかなぁ、
という希望も出てきたような気がします。

長々書きましたが、今回のセラピーを機会に、今まで手放しでいた自分を少しずつ操縦していきたいと感じました。

もしかしたらもやもやしたときにまたセラピーを受けることもあるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします。

(本当はセラピーのときにここまで書いたことを伝えられればよかったんですが、
メールで報告みたいになってしまってすみません……)

セラピーの申し込みをするとき、「こんなことで相談するなんて……」なんて
最初はすごい躊躇ってたんですが、一日経って振り返ると、やっぱり勇気を出して参加してみてよかった!
と本当に思います^^

 

> いいか悪いか別にして
> 自分の気持ちであることには間違いないのですから、
> 気持ちがあることを素直に認めてあげればいいんですよね……。

そうなんですよね。

以下は、私がセラピーを習った先生の言葉です。

「人は真実を見ると癒されます。

真実は見ることは、その時は、ショックだし、傷つくし、受け入れがたいこともあります。

でも真実を見た人は、その後、なぜか癒されるんです。

悩んでいる人は、まだ真実を見て見ぬふりをしていると言えます」

この「見て見ぬふりをしていること」とは、

「自分に思わぬネガティブな感情があったこと」

「自分が憎んでいるものに対して、思わぬ愛があったこと」

「自分が期待した通りには、相手がどうしてもなれないと認めること」

そんなことに気づくことだったります。

セラピーでは、そんな「真実を見る」サポートをします。

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