たしかなものになりたい

杉田隆史のこと

ツラい状態が

長く続いているあなたも
長く続いていないあなたも

こんにちは。

テレビを観ている時に「この人、スキマスイッチの「スキマ」のほう?「スイッチ」のほう?」って言ったらウケて満足し杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、みなさん、ツラい状態が長く続いた時って、どうやってそこから自分を回復させますか?

エッ「それがわからないから、このブログ読んでる」ですって?

で、ですよね。(笑)

あ、私の場合、1年4ヶ月引きこもったり、会社辞めまくったりして、20年ほど低空飛行したので、まさにツラい状態が長く続いたわけですけど、そこから回復したのは、やっぱり

「心理セラピーに触れたから」

だと思っています。セラピーを受けて半年くらいで元気なったので「なんだよ!こういうこと学校でやってくれたら、オレこんなに長く悩まなかったのに!」って思いましたもん。だから今、その良さを伝えたくて、自分が提供する側に回っているわけですが。

でもですね、今にして思うと、心理セラピーと同じくらい、私が回復するのに大切だったことがもう1つあるなと思っていて、それは、

「良い人たちに囲まれたこと」

だと思っています。

あ、この「良い人」の意味って、私から見て「良い人」という意味ですけど、もう少し具体的にいうと、

「無条件に関心を持って話を聴いてくれる人」
「相手の良い部分を見つけるのがうまく、それを伝えてくれる人」

ということでしょうか。

これ 何度もお話したことですが、私が低空飛行している時、師匠の竹内秀一さんが、

「杉田君はすごいのに、自分だけがそのことをわかっていない」
「なんで杉田君は、会社員になろうとしてるの?他に能力を活かす場所があるのに」

とか何年にも渡って言い続けてくださったし、他にも私に「能力がある!」と何度も繰り返し伝えてくれて、私のチャレンジに盛り上がり、私の失敗を暖かく笑い飛ばしてくれる方たちがいてくださったんですよ。いやぁ、ホントありがたいことだなぁ。

今にして思うと、そういう「良い人たちに囲まれた」ってことが、私の回復にどれだけ大切だったのかって思うんですよね。

 

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あ、で、ここからが今回お伝えしたいことなんですけど、

「1回や2回やったくらいじゃダメだけど、継続すると結果が出ることってあるよね」

って話なんです。

これどういうことかというと、もし私が、竹内さんや仲間たちとの出会いが1回や2回くらいで終わっていたら、きっと今の私にはなれなかったと思うんですね。

でもそうではなくて、竹内さんや仲間たちが、私を

「何年にもわたって継続して」

暖かく見守ってくださったから元気になれたと思うんですよ。

私、最初は竹内さんや仲間たちから ありがたい言葉をいただいても、ムズムズして、そんな言葉を受け入れられなかったけど、徐々の私の中に浸透してきて、「オ、オレもできるのかな?」みたいに私の自己認識が変わっていったんでしょうね。で、ある時、水滴がコップから溢れてこぼれ出るような感じで結果が出た。

あ、「筋トレ」とか「勉強」とかも1回や2回やったくらいじゃダメじゃないですか。でも継続してやると結果が出る。それと同じように「良い人たちに囲まれる」ってことも、1回や2回そういう体験したからって、そこまで人生が大きく変わらないかもしれないけど、それが継続するとすごいことになったりするよねと。

あ、もしかするとみなさんの中にも、長年にわたって心の拠り所になるような「人(たち)」や「場所」を持っているという方がいらっしゃるかもと思うんですけど、そういうのって、何が一番ありがたいかっていうと、

「その人(たち)がい続けてくれたこと」
「その場所があり続けてくれたこと」

じゃないかって思うんですよ。
いつでもいる・あるという「持続性」とか、その確固たる「存在」がありがたいというか。

で、この数年コロナ渦もあって、私、自分がやりたいことを改めて考えてみたんですけど、私がやりたいことって、そういう「持続性」のある活動をしたいとか、自分がそういう「存在」を目指したいんだなって思ったんですよね。

それを別の言葉で言うと、私は、

「たしかなものになりたい」

とでも言うのでしょうか。完全に小田和正さんの歌のタイトル(たしかなこと)にソックリですけど。(笑)

それでも「たしかなものになりたい」っていう言葉がなんかシックリくるんですよ。なんかワーワーやってる感じじゃなく、静かに在る感じ。本当に大切なものって、ありきたりで地味じゃないですか。

あ、私、個人セッション(心理セラピー)をしていると、「この方は、個人セッションにプラスとして、良い人に囲まれる体験があるといいんだけどな」って思うことがあるんですけど、

「無条件に関心を持って話を聴いてくれる人」
「相手の良い部分を見つけるのがうまく、それを伝えてくれる人」

みたいな人って、そうどこにでもいるものでもないじゃないですか。

でも私のクライアントさんってそういう方が多いので、今までもワークショップとかイベントでクライアントさんの交流をはかってきたんですけど、まだやっていることが「点」のような気がして、いまいち「線」になっていない気がしてたんですよね。なのでそれをもっと「たしかなもの」にしていきたいなと。

それで考えてみたんですけど、やっぱりそうなるには、

「私がリアルに人に会える場所(コミュニティスペース)を持つこと」

だと思ったんです。

なので、本当は

「3月に高円寺の古いお家を1日お借りして、予約無しで、自由に出入りできて、みんなで集れる企画をやろう!」

と思って昨年から打ち合わせしていたんですけど、今はちょっとコロナで無理そうですよね。残念。本当は今回の記事、その企画のお知らせを書く予定だったのですが。

あ、そうそう、実は私が昨年末書いた記事の中で、

「本当に大切なことって、すぐに結果が出ないことだったりする」

「本当に大切なことをコツコツやっていくことが最強」

私にとっての「本当に大切なこと」は、「人と直接会う」ってことです。

って話していたと思うんですけど、それって今回お伝えした想いを裏に秘めて言ってたんですよね。エヘヘ。

(その昨年末の記事はコチラからどうぞ)

ガッキーが10万人いたら
1年を振り返ることが あるあなたも ないあなたも こんにちは。 妻が「黒いリュックが欲しい」というのでバッグ売り場で鏡に映しながら試着している時、「来年は1年生だから自分で早起きしないとね」と子供の成長を喜ぶお母さんのよ...

 

いやぁ、私、昔からなぜか「町の駐在さん、最後の1日」みたいな 市井の人が誠実に職務を全うするドキュメンタリーを見ると、なぜかすごく泣いてしまうんですよ。駐在さん、最後の日もいつもと同じように小学生が道路を安全に渡るのを見届けて、町の老人たちに声をかけたりしている。派手なことは何も起こらない。

で、自分がそういうものを見ると、なぜそこまで泣いてしまうのかよくわからなかったんですけど、今にして思うのは、それって私の理想が体現されてるからなのかなと。町の駐在さんみたいな存在って、静かに在る感じというか、「たしかなもの」って感じがするんですよ。

 

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さ、ということで、今回はぜんぜんおもしろくない記事で恐縮ですが、最後にまとめますと、

「1回や2回やったくらいじゃダメだけど、継続すると結果が出ることってあるよね」

ってことで、

「無条件に関心を持って話を聴いてくれる人」
「相手の良い部分を見つけるのがうまく、それを伝えてくれる人」

に会うって1回や2回会ったくらいじゃ、そこまで大きな変化を感じないかもしれないけど、それが継続するとすごいことになるよね。

杉田はそういうことやりたいと思っていますよ

てな話でしたとさ。

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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