仕事が
イヤになっているあなたも
イヤになっていないあなたも
こんにちは。
落とした野沢菜が服の上をすべり杉田です。
1週間お疲れさまでした!
えーと、私のところには、「仕事がイヤになった」という相談は多いんですけど、
「仕事で覚えなきゃいけないことは山ほどあるのに、ぜんぜん仕事に興味が持てないし、学ぶのがツライ。でも仕事を覚えないことで、まわりから怒られて立場がなくなるのもイヤだし、かといってスキルがないから、転職しても今より良い会社に入れなさそうで、転職もしたくない」
みたいな相談って特に多いんですよね。
なので、今回は、そんな悩みを取り上げてみたいと思うんですけど、
私、そういう悩みをお聴きした場合、まずクライアントさんに、
「その悩みを、どういう方向に解決したいですか?」
って、その方の望むゴールをお聞きするんですよ。
でもそんな時、ちょっと違和感のあるゴールを言われる方っていらっしゃるんですね。
ということで、以下、「仕事で覚えなきゃいけないことは山ほどあるのに~」という悩みに対して、ちょっと違和感のあるゴールを3つご紹介したいと思います。
「(全然興味のない)仕事のモチベーションを上げたい」というゴール
「仕事のモチベーションを上げたい」って望むのは普通だし、そのどこがちょっと違和感のあるゴールなのかって思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
そもそもモチベーションって、意識的に上げられるものではないんですよ。
(モチベーションが意識的に上げられない話はコチラからどうぞ)
あ、というか、「全然興味がないレベル」まで下がったもののモチベーションを上げるって、たとえ無理やりやったとしても、難しいじゃないですか。
それって、「大キライなミュージシャンの曲を聴くのがスキになる」みたいな話ですから。(笑)
そこまでの状況になっても、まだ「モチベーションを上げる」なんて言葉を使う方って、
「やりたくない自分」を認めないように、向き合わないようにしていると思うんですね。
本当はむしろ、そこを認めないと、よけいやれなくなるのに。
もちろん私は、「仕事のモチベーションを上げたい」というゴールを望む方全員に違和感があるわけではなくて、
「この方は、モチベーションを上げたいというゴールを望むのにふさわしいことをしてるな」って思う方はいらっしゃるんですけど、
そうじゃなくて、「そうなったらいいよね!」みたいに当事者意識が低い感じで、「仕事のモチベーションを上げたい」ってゴールを言われる方っていらっしゃるんですよね。
(同様に「仕事をスキになりたい」というゴールも同じようなニュアンスで言っている方がいます)
「仕事に興味ないのは、私が何かヘンだからじゃないか。私のヘンなところを直して欲しい」というゴール
実際、性格的な部分が原因で仕事するのが困難になるケースはよくありますし、そういう方がセラピーを受けて、仕事が楽になることはありますけど、
でも、「やっている仕事自体に」全然興味がなくなったとなると、それはもう「好み」の問題で、一部例外はありますけど、その方の何かがヘンとかいう問題ではなくなってくるんですよね。
「(仕事を覚えなくて、まわりから怒られても)人のことが気にならなくなりたい」というゴール
これはさすがに、ちょっと調子良すぎるゴールではないでしょうか。(笑)
と、以上 が、ちょっと違和感があるゴールなんですけど、この3つのゴールに共通することは何かというと、
「痛みやリスクを引き受けないゴール」
なんですよ。
実際、
「仕事で覚えなきゃいけないことは山ほどあるのに、ぜんぜん仕事に興味が持てないし、学ぶのがツライ。でも仕事を覚えないことで、まわりから怒られて立場がなくなるのもイヤだし、かといってスキルがないから、転職しても今より良い会社に入れなさそうで、転職もしたくない」
みたいな時って、
「それでも渋々仕事を覚える」
「渋々やるのが限界なら、良い会社に入れないかもしれないリスクを覚悟で転職する」
「まわりに怒られながらも、仕事を覚えずにやりすごす」
くらいしか現実的な選択肢ってないと思うんですよ。
どれを選んでも、「痛みやリスクがある」というか。
でもそういう「痛みやリスクがある選択」を引き受けられない方が、 のようなゴールを言われてる気がするんですね。
実際、 のようなゴールを言われる方って、依存的な人が多いんですよ。
依存的な人って、自分の責任を放棄して、自分の代わりに他人に問題に対処させようとしますから、そういうニュアンスが、 のようなゴールから伝わってくるんですよね。
あ、で、今回の話から何をお伝えしたいのかというと、私、最近、「渋々やる力」の先に
【引き受ける力】
ってものがあるんじゃないかと思ってるんです。
(「渋々やる力」の意味がわからない方はコチラの記事をどうぞ)
それがどういうことかというと、今回取り上げた悩みのように、「やりたくないことをやらなきゃいけない」みたいな悩みって誰でもありますよね。
そういう時は、まずは「やらなきゃいけないこと」を「渋々やる」ってことをやってみるといいんですけど、
どうしても「渋々でもできない」ってことあるじゃないですか。もう限界というか。
そうなってくると、その先にあるのは、痛みやリスクがある選択をしないといけなくなるわけですけど、そういう時、その痛みやリスクがある選択を
「ちゃんと引き受けられる」
ってことも大切じゃないかと思うんです。
たとえば、「テスト勉強したくない。でもやらないと成績が悪くなる」という時、渋々テスト勉強するのも限界なら、
テスト勉強しないことによって起きるデメリットや痛みやリスクを引き受けないといけないし、
「新卒の就職活動をしたくないけど、しないと新卒での就職ができなくなる」という時に、渋々就職活動するのも限界なら、
新卒の就職活動しないことによって起きるデメリットや痛みやリスクを引き受けないといけない。
そういうことをするのが、 【引き受ける力】 。
でもそういう時、 【引き受ける力】 がない人は、「無痛&ノーリスクなゴール」を望み、それがかなわなくて、いつまでもさまよい続けるんですね。
(このへんのタイプの方はそういう傾向が強いです)
私、たくさんの人に「私のモチベーション上げてください!」みたいにお願いしたり、何年も「モチベーションが上がる!」みたいなコンテンツにすがっている人を見ると、
「そこまで仕事がイヤになっている自分に、なんで気づいてあげないのかな」って思いますもん。
それに気づいてしまうと、「痛みやリスクを引き受ける選択」をしないといけなくなるから、本人は気づきたくないんでしょう。
あ、ちなみにですが、「責任をとる」という言葉って、日本では、どうも切腹的というか、「私が悪うございました。辞めさせていただきます!」みたいなニュアンスで語られますけど、
英語では
責任(Responsibility)= 反応(Response)+能力(Ability)
ということで、「責任 = 反応する能力」という意味だそうですよ。
なので、「自分の人生に責任をとる」というのは、
「自分がした選択によって、どんな状況になったとしても、自分が反応していく」
ってことなんですね。
そういう意味においては、たとえ自分が仕方なく選んだ選択肢だったとしても、それに対して責任をとっていく(反応していく)ことが、
「引き受ける力」ってことじゃないかなと思うんです。
そして、それができるようになることが、「成長する」とか「オトナになる」ってことではないでしょうか。
さ、ということで、最後にまとめますと、
「やりたくないことをやらなきゃいけない」
みたいな悩みがある時は、
まずは、「渋々やる」ってことをしてみるといいんですけど、「もう渋々やるのも限界!」という時は、
痛みやリスクがある選択を「引き受けられる」
ってことも大切ですよ、
たとえ仕方なく選んだ選択だったとしても、それを引き受けられるってことは、
「成長する」とか「オトナになる」ってことなんですよ、
てな話でしたとさ。
それでは今回はココまでにします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう。