変えることのできるもの・変えることのできないもの

生きづらい

「ニーバーの祈り」という文章を

読んだことあるあなたも
読んだことないあなたも

こんにちは。

80歳を超える母から、

「明日は誕生日ですねおめでとうございます!!
はじめてのFSU出産でしたから、す!!」

という、やや謎を含むメッセージがきて、「しゅっさん」と打とうと思って悪戦苦闘したのだろうと思ったけど、念の為「FSU出産」というものがあるのか調べ杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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あ、どうでしょう、みなさん、「ニーバーの祈り」って聞いたことありますか?

それって、アメリカの神学者のラインホルド・ニーバーという人が作者とされている文章なんですけど、こんな言葉がつづられているんですよ。

 

神よ 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

 

ん~、本質をついた言葉だなぁ。

実はこの「ニーバーの祈り」、心理カウンセリングの勉強をすると、よく出てくる言葉なので私には馴染みがある言葉なんですけど、

たしかに人が元気になっていく時に必要なことを端的に説明していると思うんですよ。

実際私も生きづらさから抜け出した時って、この「ニーバーの祈り」が言っている、

1 「変えることのできないもの」を受け入れる
2 「変えることのできるもの」を変える

ってことをやっていたなと思うんです。

あ、私がやったことを具体的に言うと、

1 「変えることのできないもの」を受け入れる

は、

「会社員になれる人間ではない」ということを受け入れた

ってことだったと思っています。

私、生きづらかった時代はずっと、

「会社員になって、1つの会社で長く働かないと!」

って思っていたので、頑張って会社員になろうとしていたんですけど、ぜんぜんできなくて仕事を辞め続けていたんですね。

でも10年以上仕事を辞め続けていたら、さすがに自分に「あきらめ」がついて、

「あぁ、オレは会社員になれないんだな。
もう会社員になれない自分としてやっていくしかないんだな」

って思ったんです。

それを「ニーバーの祈り」的に言えば、

「会社員になれない自分」を「変えることのできないもの」として受け入れた

ってことでしょうか。

でもこれ、ホント受け入れるのが大変だったんですよ。

だって「会社員になる」って、わりとふつうのことじゃないですか。ほとんどの人が会社に勤めているわけだし。

そんなふうに「大人数の人ができていることを自分ができない」ってなかなか認められなかったし、

「もう会社員になれない自分としてやっていくしかない」って思うのも、なかなか勇気がいることだったんですよね。

でもそこを受け入れたから、今があるんだよなぁ。

 

それから次に

2 「変えることのできるもの」を変える

ってことの私の具体的な行動は、正社員を目指すのはやめて、

「心理セラピストになるための行動をした」

ってことでしょうか。

結果が出るかはわからないけど、最低限の生活費を稼ぐために派遣社員として働きながら、それ以外の時間を全て心理セラピストとしてやっていくための勉強や準備に全て当てたんですよ。

なので私も生きづらさから抜け出した時って、たしかに「ニーバーの祈り」で言っている、

1 「変えることのできないもの」を受け入れる
2 「変えることのできるもの」を変える

ってことをたしかにやっていたわけなんですよね。

 

エッ、「でも自分にとって、『変えることのできるもの』か、『変えることのできないものか』って、どうやってわかるの?」ですって?

で、ですよね。やっぱりそこ気になりますよね。

でも私は、

「『変えることのできるもの』か、『変えることのできないものか』の識別に正解はない。
結局、自分の責任で決めないといけない」

って思ってるんです。

あ、ちなみに私は、「オレは会社員になれないんだな。もう会社員になれない自分としてやっていくしかないんだな」ってあるタイミングで思えたんですけど、

そういうのって「自分にしかわからない感覚」じゃないですか。

それに、私が「本当に会社員になれないか?」って、実際はわからない話ですよね。なれるかもしれないし。

でも私の中にはそれが「無理だ」と思えたタイミングがあったんです。

要は、「変えることのできるものか?変えることのできないものか?」って、「本人がそう思ったらそう」っていう「解釈・意味付け」の話なんですよね。

だから、「『変えることのできるもの』か、『変えることのできないものか』の識別に正解はない。結局、自分の責任で決めないといけない」ってなるわけです。

エッ、「でもそんな話されたら元も子もない。なんか『変えることのできるもの』と『変えることのできないものか』の識別にヒントが欲しい」ですって?

で、ですよね。ではちょっとだけ私なりに思うことをお話すると、

「自分が努力をしているのに、【あまりにも長い間】うまくいかない状態が続いている」

ってことがあるなら、もしかすると「変えることのできないものなのかもしれないな?」と疑ってもいいかもと思っています。

あ、なんというか、生きていれば、「自分が努力しているのに、うまくいかない」なんてことは、ふつうにあることじゃないですか。

だからちょっと「自分が努力しているのに、うまくいかない」ってことがあったくらいで、「これは、自分が変えられないものだ!」みたいに思うのはフライングだと思うんですよ(笑)

でも「自分が努力しているのに、うまくいかない」という状態が、

【あまりにも長い間】続いている

って時は、「ちょっとヘンだよね」って話です。 「もしかすると変えられないものを変えようとしているかも? 『魚なのに陸で生活しようする』みたいなことしてない?」って。

それが、「『変えることのできるもの』か、『変えることのできないものか』は、どうやってわかるか?」という問いに対して私が唯一言えることでしょうか。

でも要領の良い人って、私のように長い間チャレンジしなくても、ちゃんと早い段階で「これは自分にできないものだな」とかあっさり受け入れられてたりしますよね。 うらやましいなぁ。

でも不器用な人には、

「自分が努力をしているのに、【あまりにも長い間】うまくいかない状態が続いている」

ってことが、「変えることのできるもの」か、「変えることのできないものか」を見極める1つの基準になると思っています。

ちなみに私は、「会社員になれない」だけでなく、

「自信がない」
「緊張する」
「ネガティブ」
「人のことが気になる」
不器用

など、その他たくさんの自分を「変えることのできないもの」として受け入れていますよ。

エッ、「それが受け入れられないから悩んでいる」ですって?

あ、そういう時は、良い心理セラピストがいるみたいですよ(笑)

 

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さ、ということで、今回の記事も長くなってしまいましたが、最後に少し付け加えますと、

私たちが、「変えることのできないもの」を受け入れることができない理由って、

やっぱり私たちが受けてきた教育って、

「できないことがあったら、努力して克服する」

という方向で解決するものだと習ってきたからだと思うんですね。

もちろん、「できないことがあったら、努力して克服する」ってことは素晴らしいことだけど、

人は何でもできるわけではないから、できないことにずっと引っかかっているのではなく、「あきらめられる」ってことも前に進むために必要なことだと思うんですよ。

むしろそれができない人は、かえって人生が行き詰まる。
なんでもかんでも「できないことがあったら、努力して克服する」だけじゃうまくいかない。

あ、そうそう、そのへんの話は、為末大さんの良い本があるので、そちらをどうぞ!

諦める力 ― 勝てないのは努力が足りないからじゃない

 

さぁ、あなたはどうでしょう?

もしかすると、あなたが長年悩んでいることって、

「変えることのできないもの」を変えようとしていませんか?

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

 

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