このブログの中に、印象に残った記事が
あるあなたも
ないあなたも
こんにちは。
「辛さ5倍の柿ピー」の期待がはずれ杉田です。
1週間お疲れさまでした!
えーと、セラピーの時、クライアントさんが「何に引っかかっているか」を確認するために、
「ブログの中で、なにか印象に残った記事はありましたか?」
みたいな質問をすることがあるんですね。
で、そんな時、クライアントさんから、
「あの、ドラクエの洞窟の話・・・」
とか言わることって多いんですよ。(笑)
(「ドラクエの洞窟の話」の意味が分からない方はコチラをどうぞ)
あ、ちなみにすが、「ドラクエの洞窟の話」以外にも、以下は「印象に残った」と言われることが多い記事です。
(印象に残った言われることの多い記事)
何がしたいかわからない人が、よけいに何がしたいかわからなくなるパターン
あ、で、この「ドラクエの洞窟が印象に残った」と言うクライアントさんて、実際にも「ドラクエの洞窟的悩み」で悩んでいてることが多くて、
「朝早く起きて、○○の勉強をしようと思うんですけど、全然できないんです。
○○こそ自分のやりたいことのはずなのに。こんなはずじゃ・・・」
みたいなこと言われるんですよ。
↑でもこの状況って、クライアントさんは、「こんなはずじゃない」と思っていても、実は何も不思議なことは起こっていなくて、
この人は、ただ
「朝早く起きて勉強するほど、○○をしたくない」
だけのことなんですよね。
ただそれを「本人が認められない」んです。
でもそういう話になると、クライアントさんが、「じゃあ、私が○○をしたくないとでも言うのですか?」みたいなことを言われることもあるんですけど、これも、
「あなたが○○をやりたいのは本当だけど、あなたが思っているほど○○をやりたくない」
だけのことなんですね。
だって人間、本当にやりたかったら、やりますから、朝早く起きて勉強だってできるはずなんですよ。
すると、
「自分が思っているほどやりたくないなんて気づいたら、○○を投げ出しちゃうんじゃないか心配」
みたいなことを言われることもあるんですけど、
「それほどやりたくない」ものを、「すごくやりたい!」って自分に思い込ませてるって、そっちの方がツラいと思うんだけどなぁ。
だって、そういう人は、いつも「こんなずじゃない!」が発生して、人生が「自分を否定することの連続」になるわけですから。
そういう人って、前のブログ記事でお話したように、
なんでしょうね。
自分の内側にある「やりたい/やりたくない」を優先せずに、「こうすべき!」な生き方をしていますから、「損もしないけど、楽しくもない人生」になるわけですよ。
あ、なんか話が、どんどんそれてきてしまったんですけど、今回の記事で一番お伝えしたいことは、
「まず現実を見る」
ってことなんです。
というのは、昔セラピーを習った先生が、こんなことおっしゃっていたんですよ。
「人はそれぞれ「元気になるための術」を持っています。
たとえば、モヤモヤしたら、「寝る」とか、「運動する」とか、「お酒を飲む」とか、「1人カラオケに行く」とか、
そういうことだって、
「悩みからいったん離れることによって、元気を取り戻す」
ということをやっているんだと思います。
ある意味、心理セラピーの技法とは、
そういった人の中で起きている「元気になる術」をスローモーションにして
体系化したものだと言えます。なので、世の中には、人それぞれに
無数の心理セラピーの技法があるのでしょう」
この話を聞いた時、私はとても感銘を受けて、
「そうか!じゃあ、私の心の動きをスローモーションにしてみれば、私が日常で無意識にやっている「元気になる術」を他の人にもわかる形で言語化できるのかもしれない」
なんて思ったんですね。
ある意味それを書いているのが、このブログなんだと思います。
たとえば、少し前に書いた、
「感情は必ずしも行動と結びついていなくても良い。でもできるだけ感情に気付くことが重要だ」
という記事ですけど、
それも私の中で一瞬のうちに起こっている心の動き、
(1)自分の「部屋を片付けたくない」という感情には気づいたうえで、
↓
(2)「それでも片づけるのか(渋々やる力)」 or 「だから片づけしないのか」は、「自分が決められる」
をスローモーションで説明したものなんですよ。
実際この記事って、よく読むと、とても些細な話をしているでしょ?
でもこの「些細な違い」で、ちょっと楽になれたりするんですよね。
なので、私、普段から、なにか参考になることはないかと、いつも注意深く自分の心の動きを感じるようにしているんですけど、そんな時フと気づいたのは、
「あぁ、私って、いつも「まず現実を見る」ってこと、やってるなぁ」
ってことだったんです。
どんなにダメな自分でも、「現実がそうなら、まずはそうだと認める」。
「現在の自分の正確な位置を知る」とでもいいますか。
だって現実を見ずに、自分がレベル1なのに、レベル10だと勘違いして洞窟に行っても、ゲームオーバーになるだけで、何も始まらないんですよね。
「現実」には、自分がどうすればいいかのヒントがたくさん隠れているんですよ。
でもこういう話をしても、「でも現実の自分を認めたくない」なんて言う人もいるんですけど、そういう人って、
犯行が録画され、証拠品に指紋が付き、目撃者が10名もいるのに、「私がやってません!」と言っている犯人と同じだと思うんですよ。(笑)
だって、「現実の自分以外は存在しない」わけですから、
「現実の自分がやっていないなら、やっていない」
「現実の自分がやっているなら、やっている」わけで、
それを「認めたくない」と言われてもなぁ。(笑)
では最後に、おなじみ明石家さんまさんの名言と、私のツイッターでのつぶやきをご紹介して、今回のブログを終えたいと思います。
俺は、絶対落ち込まないのよ。
落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。
過大評価しているからうまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと・やったことがすべてやねん。
(明石家さんま)
「現実の自分」以外の自分は存在しないので、「ありのままの自分」というのは、「今の自分」のこと。ということは、人はもうすでに「ありのままの自分」なのだ。「ありのままの自分は, もっと他にある」と思っていること自体が、「ありのままの自分」の否定になっている。
— 杉田隆史 - 心理セラピスト(悩んでいない人の悩み相談) (@takashisugita) May 12, 2020
それでは今回はココまでにします。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!