自分が「こわい」と思うことを
やってしまうあなたも
あまりやらないあなたも
こんにちは。
結婚披露宴で丸刈り3人が並んで座って新郎新婦の未来を明るく照らし杉田です。
1週間お疲れさまでした!
えーと、今回は、まず私のセラピーに、「どんなクライアントさんが来られるのか」という話からはじめたいと思うんですけど、
私、ご存知の通り、セラピーやワークショップを東京でやっているわけですが、受けてくださる方の3割~4割が、関東地方以外から来られるんですよ。
あ、先日調べてみたら、全47都道府県からクライアントさんがいらしていることがわかりました。(最後は、鹿児島県の方でした)
いつも遠くから起こしいただき、かたじけないです。
あ、それから他にも、私のクライアントさんの客層についてですが、これまで心理の世界とは無縁の方が多くて、
「心理セラピー/ワークショップとか受けるの初めてです」という方がほとんどなんですよね。
で、そういう方が、私のセラピーやワークショップをキッカケに心理の世界に興味を持つこともあって、他の方が主催している心理の講座を受けに行くこともあるんですけど、
そういうところに参加された方から、よく
「杉田さんのところに来る人って、他と客層が違いますね」
って言われるんですよ。
具体的に何が違うのかいうと、
「他の講座にいる人は、社会的にちゃんとしている感じの人が多い(笑)」
んですって。(笑)
あ、でもこれ、私も同じようなこと思ったことがあって、私が10年前、初めて心理の講座に行った時、
そこに来ていた人たちが、
ちゃんと仕事している人だったり、
ふつうに結婚していて子供を育てていたり、
彼・彼女がいたりしたので、
「アレ?なんでこんなマトモな人ばかり来てるんだ?
ちゃんと仕事があって、働けているのに、何が不満なんだろう?
彼とか、彼女とかいるのに、「孤独」だとか、毎日一緒に食事をする人がいるのに、「さびしい」とか言ってるの意味わからないよ。
オレは人生のほとんどを1人で食事してきたのに・・・
自分がこの人たちだったら、絶対こんなとこ来ないよ!」
とか、当時の私は思ったんですよ。(笑)
で、私、その場で、「みなさんのようなマトモな方たちが、こんなところに来ていることに驚きました」
とか言った記憶があるんですけど、
そこにいた方たちからは、「表面的にそう見えるだけで、全然ダメですよ」みたいなこと言われたんですね。
それでも当時の、その「表面的な状況すら作れない私」としては、全然納得できなかったんですよ。(笑)
あ、もちろん、今の私は、「表面的にそう見えるだけで、全然ダメですよ」と言っていた方の気持ちはわかりますよ。
たとえどんなにすごい会社でバリバリ働いていても、自分を否定する人はするし、同じ場所に人がいようと、「孤独」とか「さびしい」とかは感じますからね。
あ、でも、「他の講座の人は、社会的にちゃんとしている感じの人が多い(笑)」って言われるのは、
やっぱり私自身の経歴が、カタギじゃないというか、「表面的な状況すら作れなかった」からなのか、
そういう方がブログの内容に共感して、私のところに来てくださってるんでしょうね。
あ、もちろん、私のところには、「そういう方しか来ない」というわけではないですけど、
他の方が主催している講座より、そういう方が来られる割合は高いと思います。
感度が高すぎて、社会に馴染むが難しい方が多いんだよなぁ。
でも、「イイモノ」持っているんですよ。
あ、それから、「杉田さんのところに来る人って、他と客層が違いますよね」っていうことで、他にもよく言われることは、
「杉田さんのところは、イイ人が多い」
「杉田さんのところに来る人は、人の話をちゃんと聞いてくれる」
「杉田さんのところは安心できる」
とかもよく言われます。
あ、先日も、クライアントさんからこんなメールをいただきましたっけ。
(ご本人の許可をいただきて掲載しています)
やはり、杉チルの皆様は圧倒的に優しくて、
優しさ故に傷付いてきて、
傷付いたが故に不器用になった、
愛すべき方々が多いなと思いました。で、何でこんな良い人たちばかりが集まるのだろうと考えていたのですが、
どうやらその秘訣は‘’愛‘’にあるようだという結論に到りました。それは何かと言うと、
竹内さんのワークショップに参加した時にも感じたのですが、
私の中の‘’愛‘’の感覚と、
ワークショップを包む空気感が非常に似通っているんです。
地面からほかほかするような身体の温かさが一緒でした。杉田さんも竹内さんにも共通しているのは、
‘’この人たちに何かを感じてもらいたい。でも、そうでなくても良い。
とにかく、自分が持てる全てを使ってやっていこう‘’
という、押し付けがましくない、
深く穏やかな愛情を持っておられる点だと思うのです。
(改めて凄い師弟だなと思いました。愛の形まで似るのかと。)この愛がワークショップに反映されているなぁ、
似たように愛を持った人を引き寄せるのかなぁと。杉田さん・竹内さんのワークショップ以外にも、
違った形式の催しに幾つか参加しましたが、
主催者だけでなく、参加者の方々までもが、
深く穏やかで、分かりやすい愛を抱いている場所はありませんでした。
(勿論、他の催しの参加者の方にもちゃんと愛はあるのですが、
私の感覚に合致しにくい形の愛だから感じにくいのだろうなと思っています。
相性というやつですかね。杉チルさんとはかなり相性が良いみたいです)杉田さんのお陰で居場所を作って貰えたと感じる方は
とても多いと思います。
大変なお仕事ですが、
これからもそんな人たちに居場所を作ってあげ続けて欲しいです。
↑ここに書いてあること、今の私が他の方の講座に出ても、同じようなことを思うんですよ。
あ、この意味、来られた方はわかりますよねー、ねー。
さ、ということで、話がかなり飛んでしまいましたが、
かつての私のような、カタギじゃない方、「表面的な状況すら作れない方」って、
セラピーでお話を聴かせていただくと、「そこから抜け出すのにどうしていいかわからない」というか、いつも閉塞感があるみたいなんですね。
なので、今回のブログは、そんな時、
「どういうところに、そこから抜け出すヒントがあるのか?」
ってお話をしたいと思うんですけど、
あ、今回は、いきなり結論から言ってしまいますと、そういう閉塞感があって、どうしていいかわからない時って、
「自分がこわいと思っていることをやってみる」
ってことがイイんですよ。
あ、でも、これだけだと意味がわからないと思いますので、もうちょっとご説明させていただくと、
私、先日、フェイスブックを見ていたら、知り合いの方が、中島芭旺さんの「見てる、知ってる、考えてる」という本を紹介してたんですね。
で、その本の中に、こんな言葉があったんです。
「こわい」は、やりたいということ。
やりたくなかったら、「やりたくない」って思う。
「こわい」ということは、やりたくないわけではない。
私、この言葉を見た時、とても重要なことをすごくシンプルに言ってくれている気がしたんですよ。
人は、たしかに、やりたくない時は、「こわい」ではなく、「やりたいくない」って言いますよね。
ということは、「やるのがこわい」と思うことって、心の奥では、「本当はやってみたい!」と思っていることだったりするんですよ。
あ、そういう例をご紹介すると、前にこのブログにアップした、
「本当は人とつながりたいのに、「やりたいこと探し」をしちゃう人」
って記事、あったじゃないですか。
この記事に出てくる人って、いざ人とつながろうとすると、
「ありのままの自分を見せちゃったら、相手から嫌われるんじゃないか」
「人と深く関わると、傷つくことになるんじゃないか」
みたいに思って、「こわい」って感じるんですよ。
でもその「こわい」の先にある「人とのつながり」って、本当はその人が欲しいものですよね。
そういうのが、「やるのがこわい」と思うことって、「本当はやってみたい」と思っていることってことで、
だから、「自分がこわいと思っていることをやってみる」ってことが、閉塞感に突破口を開くんだと思うんです。
あ、で、ここからが今回の大切な話なんですけど、
今回の記事の中で言っている「こわい」という感情って、人によってだいぶ解釈が違っていて、
「こわい」と感じたら、バッサリそれを「やりたくないこと」って解釈してしまう人もいれば、
「こわい」の奥にある「やりたい」という気持ちを感じて、それを自然に試している人もいる
ってことなんですよ。
で、このとを見ると、の人って、閉塞感を感じやすくなると思うんですね。
だって「こわい」に含まれる「やりたい」を見逃すから、「自分が試せることが少なくなっちゃう」じゃないですか。
あ、ということで、話があまりまとまっていませんが、最後に何をお伝えしたいのかというと、
閉塞感があって、どうしていいかわからない時って、今までの分を挽回しようと思って、つい、
「みんなから認めてもらえることしなきゃ!」
「スゴイと思われることしなきゃ!」
みたいに思っている方って意外といらっしゃるんですよ。
でも、その方が本当に挑むべきことは、全然そういったことではなく、
みんなから見たら、全然スゴイと思われないことでも、誰もが当たり前のようにできてることでも、
「あなたが「こわい」と思ってやっていなかったことを試してみると、本当は欲しいと思ったものが手に入る可能性がありますよ」
ってな話でしたとさ。
「こわい」って、「自分のやりたいことを教えてくれるセンサー」なんでしょうね。
さ、閉塞感があるあなた、あなたが「こわい」と思っていることで、本当は「やりたい」と思っていることってありませんか?
それでは今回はココまでにします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!