博多に
行ったことのあるあなたも
行ったことのないあなたも
こんにちは。
自動音声に事情を説明し杉田です。
1週間お疲れさまでした!
えーと、前に私がまだ会社に勤めていた頃の話なんですけど、私の働く部署が移ったことがあったんですね。
で、新しい部署には知っている人も少ないから、ドキドキして行ったわけなんですけど、そんな時、私に声をかけてくれた人がいたんです。「何か問題ない?」って。
私、その時は、「気にかけてもらえてありがたいなぁ、Aさん、イイ人だなぁ」って思ったんですね。
でも、その後、Aさんのことをよく観察していたら、あることがわかったんですよ。
Aさん、「問題を喜んで探している人」だったんです。
あ、これ、どういう意味かというとですね、
Aさんは問題を見つけると、それをすぐに解決しようとするのではなくて、わざと問題の起こしている双方をけしかけたり、それを上司に大げさに報告したりして、その問題をどんどん大きくしているんですよ。(笑)
それで、「大変だ、大変だ」って人に言いまくるんです。
で、Aさん、自分がさんざん炊きつけて、事を大きくした後、
「みんな、しょうがないなぁ。オレが解決してやるか」
みたいな感じで前に出てきて、偉そうな態度で解決しているんですよね。(笑)
私、それがわかった時、本当にビックリしたんですよ。
「なんだ、Aさんが問題を探しているのは、自分の力を誇示するためだったのかよ!」って。
でも、そのことに気づいている人は少なくて、Aさん、上司からの評価がとても高くて、「なくてはならない人物」だと思われていたんですね。
でも、その後、Aさんは他の会社に移ったんですけど、そしたら不思議なことに、そこは問題だらけと思われていた部署だったのに、急に問題がピタッとやんだんですよ。(笑)
あぁ、やっぱりAさんが問題の元凶だったんだなと。(笑)
で、この話から何をお伝えしたいのかというと、人って、一見、
問題を起こしている人 or 問題を解決してる人
被害者 or 加害者
良い人 or 悪い人
強者 or 弱者
命令する人 or 命令される人
のように見えても、実際の「役割」ってわからないよね、ってことなんです。
そういえば、そんなことに関してですが、私、ずいぶん前のブログに、
「命令形のない命令文」
という記事を書いたことがあるんですけど、みなさん、覚えていますか?
あっ、覚えている方もいらっしゃるようですね。
(その記事はコチラからどうぞ)
で、この「命令形のない命令文」って何かというと、たとえば、もしあなたが会社の同僚から、
「私、ダメだよね。仕事の覚えが悪いし、ミスばっかりしているし、みんなはスゴイよね。あ~私ってダメだなぁ・・・」
なんて言われたら、
つい「そんなことないよ!」って言いたくなりませんか?
他にも、「大丈夫だよ!できているよ」とか、「私だってダメだよ!」とか、相手を慰めるというか、励ます言葉、思わず言っちゃいますよね。
このような言葉を、私は勝手に
「命令形のない命令文」
と読んでいるんです。
相手に命令やお願いをするわけでもないのに、「期待どおりの内容」を相手に言わせる言葉とでもいうのでしょうか。
ほら、ツイッターとか、ブログのコメントとか、メールとかでも、いつも自分が傷ついていることアピールして、励ましてもらおうとか、認めてもらおうとしている人、いるじゃないですか。(笑)
(でも「励まして!」、「認めて!」と直接命令はしていない)
そういうのも、「命令形のない命令文」です。
つまり、私が「命令形のない命令文」の記事の中で書いたのは、
自分が傷ついていることを訴えて、相手の罪悪感を刺激したり、
無力を装って、相手の助けがなければ「私は何もできない」と思わせたりすることで、
直接相手に命令を伝えるというリスクを犯すことなく、相手を自分の思い通りに操作しようとしている人、
について書いたわけですけど、
これも一見、弱者の立場をとっている人が、実はその「弱さ」を使って、相手をコントロールしているわけですから、
これも先ほどお話したAさんのように、
「弱者 or 強者か、命令する人 or 命令される人か、よくわからないよね」
って思うんです。
あっ、でも誤解しないでいただきたいのは、この「命令形のない命令文」って、誰でもやっていることで、「やっちゃダメ」とかそういう話ではないですからね。
人は弱っている時、「命令形のない命令文」を使いたくなるもんですし、親しい間柄では、当たり前のようによく使っていると思うんですよ。
でも、その「命令形のない命令文」の対象や頻度が、
「それほど親しくない人」に対して
「いつも連発している」となると、
その人のまわりはツラいわけで。(笑)
実際、「命令形のない命令文」について記事を書いた当時、「命令形のない命令文」を連発する人に悩まされていた人たちからは、
「言語化しずらいことを、よくぞ書いてくれました!」
と、かなりたくさんの感謝メールをいただいたんですよ。(笑)
あっ、なんか今回は、だいぶ話がそれてしまったような気がするのですが、何をお伝えしたいかというと、
一見、「問題を解決する人」が、「問題を起こす人」だったり、
一見、「命令される人」が、「命令する人」だったり、
と同じように、
自分が、「嫌な人」とか、「憎んでいる人」とかそんなレッテルを張っている人が、実は「他の役割」も果たしてくれていて、「自分を支えてくれている」こととかもあるんですよね。
「敵が自分を支えている」とでもいうのでしょうか。
たとえば、「どれだけ転職しても、いつも会社に「天敵のような人」が現れて、いつもぶつかりあってしまう」なんて人は、
実はその「天敵のような人」がいるお陰で、
「自分はいつも正しいことをしています!」
ってより強く思えたりするんですよ。
そう、自分を「正義の味方」だと感じることができる。
そういういつも「天敵のような人」に出会ってしまう人って、たいてい子供の頃、理不尽な親がいて、
その親に対して、「なんでそんなことするわけ!」って、「怒り」を持っているケースとかが多いんですよ。
その「怒り」がまだ未完了だから、人に「怒り」を感じやすいんだよなぁ。
(これはセラピーで改善できます)
それから他にも、「敵が自分を支えている」例として、自分が「憎んでいる人」の存在が、実は「自分が行動するパワーの源」になっている人とかも多いんですよ。
自分が行動する全てのモチベーションが、その人を憎み、反発することで成り立っていますから、
もしその「憎んでいる人」を憎まなくなったら、本当は「自分がどうしていいかわからなくなる」とかあるんですよ。
まるでバットマンとジョーカーの関係みたいですよね。(笑)
「オレがいるから、ヤツがいる」みたいな。
とまぁ、こういう「敵が自分を支えている」のような話は、なにも「人との関係」だけではなくて、「物事」でもそうなんですけど、
自分が「イヤ」とか「嫌い」とか思っている「物事」が、実は「自分を支えてくれている」とかって結構あるんですよ。
たとえば、私、週3,4回くらいはジムのプールで泳ぐんですけど、それは水泳が楽しいわけじゃなくて、どちらかといえばイヤなんですよ。
でも、それをあえてやっているのは、
「自由になりすぎると、楽しいことも楽しくなくなってくる」
ことがわかっているからなんです。
ほら、私のような自営業は、なんでも自分で決められるし、いくらでも自由になれちゃうけど、
「平日に働いているから、休日が楽しい。毎日が日曜日は楽しくない」
みたいに、人は、適度に制限とか、適度にイヤなことがないと、かえって楽しいことがなくなっちゃうんですよね。
ほら、「引きこもり」って、イヤなことを排除していたら、楽しいこともなくなってしまう状態のことじゃないですか。
だから、私はあえて、確信犯的にイヤな水泳をすることで、より生活を楽しんでいるんです。
といっても、私が「水泳がイヤ」といっても、それは「水泳が本当に嫌い」という意味ではなく、「やりたいことのためのやりたくないこと」ですからね。
だって、私にとって水泳は、本当は「クワクワ」なのですから。(笑)
(「クワクワ」の意味がわからない方はコチラからどうぞ)
つまり、言ってしまえば、
「人生を楽しむために、水泳に悪役を引き受けてもらっている」
とでも言えばいいのでしょうか。
ということで、
人や物事は、そのものが良いとか、悪いとかではなくて、あなたの「その人や物事に対しての関わり方」が変わると、「その人や物事の役割」も変わってくるんですよね・・・
と、唐突に今回のブログは終わらせたいと思います。(笑)
それでは今回はココまでにします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!