人の孤独を埋めるのは、愛されることではなく、愛することだよ

ココロのコラム(雑記)

「大豆田とわ子と三人の元夫」の4つのセリフをただ並べる」という記事を

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ご覧になっていないあなたも

こんにちは。

妻が私のTシャツを部屋着として着ていたので「今度ペアルックで出かけようか?」と言ったらすごくイヤそうな顔をされ杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、ちょっと前に

「大豆田とわ子と三人の元夫」の4つのセリフをただ並べる」

っていうタイトルの記事をアップしたんですけど、みなさんご覧になりましたか?

あ、もしかすると、記事の内容よりも「西友セイミー」のほうが印象に残っちゃったかもしれませんね。(笑)

(その記事をまだお読みでない方はコチラからどうぞ)

「大豆田とわ子と三人の元夫」の4つのセリフをただ並べる
「大豆田とわ子と三人の元夫」というドラマを ご存知のあなたも ご存知ないあなたも こんにちは。 妻から「スーパーの名前を言う時、「サミ(サミット)」 とか 「ヤオ(八百幸)」って略してるのに、なんで西友だけ「セイ・ユー、...

 

で、私、上記の記事で「大豆田とわ子と三人の元夫」というドラマの中で気になったセリフとして、

 

「人の孤独を埋めるのは、愛されることではないよ。愛することだよ」

 

って言葉をご紹介したと思うんですけど、今回はそのセリフにさらにコメントを付け加えたいと思っているんですが、

あ、でもですね、「人の孤独を埋めるのは、愛されることではないよ。愛することだよ」って言われても、今現在、パートナーがいなくて孤独だなって思っている方は戸惑うと思うんですね。「エッ? 誰かから愛されれば、孤独って埋まるんじゃないの?」って。

私も昔はずっとそう思ってましたよ。「パートナーいるのに孤独とか言ってるヤツ、なに贅沢なこと言ってんだ!ぶざけんな!」って。(笑)

でもだんだんと「人の孤独を埋めるのは、愛されることではなく、愛することだよ」っていう意味がわかってきたというか、そのキッカケになったのは、やっぱり前の記事でもご紹介した、為末大さんのこの言葉だったんですよ。

 

人間は自我を持ち続けることに苦しさを覚えていて、だからほんの一時でも何かに夢中になれた後に幸福感を覚えるのではないか。
私でい続けることは苦しい。夢中でいる間は私が消滅する。
つまり夢中とは、自らを省みる瞬間がない状態で、且つ対象に心が奪われている。“している私”に気づいている状態は夢中ではない。

 

人は「なにか」に意識を向けると、他のものから切り離されるんですよね。

たとえば、飼っているペットの調子がずごく気になっていたとしても、会社で仕事をしている最中は、目の前の仕事に意識が向いて、ペットのことをずっと気にかけていられなくなる。そういうのが、「なにか」に意識を向けると、他のものから切り離されるってこと。

で、私 「人を愛する」ってことは、「誰かに夢中になる」ってことだと思うので、「誰か」に意識が向いている間は「私」から切り離されますから、孤独を感じなくてすみますよね。「私」が消滅しちゃえば、孤独を感じようがないわけですから。

だから「人の孤独を埋めるのは、愛されることではないよ。愛することだよ」って、すごく納得がいくんですよ。誰かから愛されることではなく、自分が誰かを愛してこそ、はじめて孤独が埋まるんだなって。

あ、でもこの「人を愛する」って話って、なにも「恋愛だけ」の話ではなくて、他の人間関係でも起きるので、そんな例もご紹介したいと思うんですけど、私、そのことで思い出す2人の友人の言葉があるんですよ。

1つは、私が30歳くらいの頃、友人と飲みに行ったんですけど、当時新婚だった友人が、

「自分の子供のために死ねるかって言われたら死ねるね」

って言ったことがあったんですね。

私、その言葉を聞いた時、「自分より大切なものがあるのか。スゴイな」って思ったんですよ。友人が大きく見えたというか。

それからもう1つの思い出す言葉は、私が高校の時、ラグビー部に入っていた友人がいたんですけど、その友人が、

「体のデカイヤツが全力で走ってくるのにタックルするのって、すげーコワいんだよ。でも部活の仲間のためならと思うとタックルできるんだよね」

って言ってたんですね。「そうか、体育会系の部活ってそういう思いを持てるんだな。なんかいいな」って思ったんです。

と、まぁ、こんな感じで、恋愛だけに限らず、

「子供のために」とか、
「仲間のために」とか、

自ら誰かを愛せる人って、自分と他人が一体化して、つまり自分が消滅して、孤独が埋まるんでしょうね。

あ、先日、「正直不動産」というドラマを観たんですけど、主人公は「自分が大変だった時、助けてくれた社長の恩に報いたい!」と思って働いている人だったんですけど、

そんな思いを持って働いている時って、孤独が埋まるってなんか想像つきませんか? 私も「この人のために!」とか思って働いている時って、孤独とか感じてなかったなぁって思って。

エッ「そうは言っても、やっぱり誰かから愛されないと孤独を感じる」ですって?

で、ですよね。 あ、そんなふうに思うあなたにオススメの本があるんですよ。

 

エーリッヒ・フロムの「愛するということ」

 

この本、60年も読み続けられている、「愛」についての世界的ベストセラーなんです。

以下、ちょっとだけ、本の一部を引用しますね。

 

愛というものは簡単に浸れるような感情ではない。
真の意味で人を愛するには、自分の人格を発達させ、それが生産的な方向に向くよう全力で努力しなければならない。

 

われわれが生きているこの社会では、愛する能力を身につけることは容易ではない。
実際、真に人を愛することのできる人は驚くほどに少ない。
しかし愛する能力を身につけるための仕事が困難だからといって、その努力を放棄してはならない。

 

愛について学ぶことはないと考える第一の理由は、たいていの人は愛の問題を、「愛する能力」の問題ではなく、「愛される」という問題として捉えているからだ。
つまり人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるかということなのだ。

 

ね、なんかヤバそうな本でしょ?(笑)「愛する」ってなかなか大変そうだ。(笑)

ただこのエーリッヒ・フロムの「愛するということ」、内容がちょっと難しいので、難しい文が苦手な方は、「愛するということ」の翻訳をされた鈴木 晶さんが書かれたコチラのフロムの解説本がオススメです。⬇

 

フロムに学ぶ 「愛する」ための心理学

まずこの鈴木 晶さんの解説本を読んで、読みたくなったら、本家「愛するということ」を読むっていう順番のほうがいいかな。

いや、なんというか、「愛する」ってことって、自然に身に着けている人もいれば、そうじゃない人もいるわけですよね。で、そうじゃない人にとって「愛する」って意外と難しかったりするんですよ。なので、そんな方は、ちょっと「愛」について知っておいたほうが良いかもなって思うんですよね。

 

さ、ということで、今回は、「大豆田とわ子と三人の元夫」の中のセリフである、

「人の孤独を埋めるのは、愛されることではないよ。愛することだよ」

という言葉にコメントを加えつつ、一番肝心な部分は「この本を読んでください」という記事でしたとさ。(笑)

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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