ツライ思いをした人にしかできないこと

ココロのコラム(雑記)

仲の良い両親の元に

育ったあなたも
育っていないあなたも

こんにちは。

「満天☆青空レストラン」を観ていると、いつも「自分も『うまーい!』ってエコーをかけてもらいたい!」って思い杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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あ、いきなりですが、ちょっと前にですね、私、SNSでこんな投稿したんですよ。

 

長年いろいろな方の悩みを聴かせていただいていると、

「仲の良い両親の元に育つ」というのは、人生の幸せの70パーセントくらいを決めるんじゃないか

とさえ思ってしまいます。

私自身は心理学を学ぶことで、なんとか後づけで幸せを感じるようになり、自己肯定感を持てましたが、

仲の良い両親の元にスクスク育った方の圧倒的な自己肯定感の高さを目の当たりにすると、眩しくてクラッとくることがあるんですよ(笑)

例えて言うなら、「養殖」と「天然もの」の違いとでもいうのでしょうか(笑)

 

あ、私、

「自分が失敗して、他人に迷惑をかけた時」って自己肯定感がわかる瞬間

だと思っていて、

昔の私だったら、そんなふうに自分が失敗して、他人に迷惑をかけたなんてなったら、「死んでお詫びしないと!」ぐらい思ってましたけど(笑)、

自己肯定感の高い人って、そういう時でも、

  • 失敗はしょうがないと割り切れる
  • 反省はするけど、自分を責めない
  • 立ち直りが早い

みたいな感じだったりするじゃないですか。

これ、自己肯定感の高い人が、「人の気持ちに鈍感だから」、「図太いから」とかではなくて、自分の土台が安定していますから、失敗しても自分の存在が脅かされないんですよ。

だから失敗しても過剰に落ち込まない。逆に、他人が失敗しても、そういう見方ができるから、他人に寛容だし、過剰に他人を責めない。

でもそれって、自己肯定感が高くない人からは、「失敗して、なんでそんなにケロッとしてられるんだ!」って見えるんですよね(笑)。

私、今では失敗しても、「死んでお詫びしないと!」とかは思わなくなりましたけど、圧倒的な自己肯定感を持っている人から比べたら、まだまだだなって思うんですよ。

で、そういうのを、同じ自己肯定感があるにしても、

「養殖」・・・・・後づけで自己肯定感を持てるようになった人
「天然もの」・・・物心ついたころから自己肯定感を持った人

にたとえてSNSに投稿したわけです。
後づけではなく、ナチュラルな自己肯定感のある人スゲーって。

あ、で、そうなるとですね、みなさんの中には、「くそー、天然ものになりたかった!」とか思う方もいらっしゃると思うんですけど、

私は常々、「ツライ思いをした人にしかできないことがある」って思ってるんですよ。

それを具体的に言うならば、

「同じような悩みを持った人の役に立つことができるってこと」

ではないかと。
それが「養殖(後づけで自己肯定感を持てるようになった人)」の存在意義の1つといいますか。

あ、なんというか、ツライ思いをした人って、それを乗り越えると、自分の内側から自然に

「自分と同じような思いをしている人の役に立ちたい!」

っていう気持ちが沸き上がってくることがあるんですよね。

で、中にはそれが「使命」や「やりたいこと」になる人もいる。

そういう時って、大きなエネルギーが出ますから、それが、「ツライ思いをした人にしかできないこと」になるんだと思うんです。

私も今の仕事をするキッカケもそんな感じだったもんなぁ。

あ、それから、自分がどうして日本語が話せるのか説明できないように、自分が元々できること、元々あるものって、それをどうやって獲得したかって説明できないですよね。

だから、「天然もの」の人は、自己肯定感の獲得について説明するのが難しいと思うけど、「養殖」の人は、それができるってことなんですよ。

ね、それってまさに「養殖」の存在意義でしょ?

エッ、「まだ養殖にもなれてない。自己肯定感が低いままの私はどうしたらいいの?」ですって?

な、なるほど。でも私、そういう方にも、「ツライ思いをした人にしかできないこと」があると思っていて、それは、

「表現にキレが出ること」

ではないかと思ってます。

これどういう意味かというと、完全に私の偏見なんですけど、「天然もの」の自己肯定感を持っている人が話すことって、ぶっちゃけおもしろくないじゃないですか?(笑) ふつうすぎて。

なんでそうなるのかって話をすると、

「人のことが気にならない」って「物語としたら」おもしろくないから

だと思ってるんです。

あ、これどういう意味かというと、たとえばですよ、

人から自分の服装のことをどう思われるか、

①ぜんぜん気にしない人
②すごく気にする人

がいたら、②の人の内面のほうが、

「この服着たら、またこの服着てると思われるかも」
「この人、今、私の襟元見た。なんかヘンかな?」

とか思ってビクビクしてるのって、はたから見るとドラマチックじゃないですか(笑)。

①の人は、そういう心配がなく、「人からどう思われても気にしない」で終わっちゃうわけでしょ? 引っかかりや葛藤がないと、そこに「物語」が生まれないですよね。

だから、引っかかりがない、「天然もの」の自己肯定感を持っている人の話していることって、おもしろくならないって思ってるんです(笑)。

私、昔からよく「考えすぎだよ」とか「ネガティブだね」とかよく言われましたけど、「天然もの」だったら、こんなブログ書けないですよ(笑)。

考えすぎでネガティブだったからこのブログが書けている。

あ、そういえば過去記事で、

「人は自分の悩みと引き換えに、なにか能力を身に付ける」

って話、書きましたっけ。

(そんなことを書いた記事はコチラからどうぞ)

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あ、でも考えてみれば、私の人生を振り返ってみると、

長年、自己肯定感の低さに苦しみ、

でも同じような自己肯定感の低さに苦しみながらも克服した先人たちに学び、助けられ、

気がつけば、今度は自分と同じように悩んでいる人に・・・

ってことをやっていて、まさに「ツライ思いをした人にしかできないことがある」って人生を歩んでいるんですよね。

昔は私、「このままでは絶望的な人生になる!」と思っていたのに、私と同じような悩み克服した先人たちのおかげで、すごい逆転が起こったような気がするんですよ。 まるで誰かによって人生の脚本が書かれてたかのように。

もしかすると、自己肯定感が低かったおかげで、よりおもしろい人生になったような気さえする。

それでは最後に、私をずっと支え続けた、神話学者ジョゼフ・キャンベルの言葉をご紹介して、今回の記事を終えたいと思います。

 

我々は、もはや独力で冒険に挑む必要はない。
古今の英雄が道を拓いてくれている。
迷宮は知り尽くされている。
我々はただ英雄の跡を辿ればよい。

そうすれば恐るべき怪物に遭うはずのところで、神に出会う。
他人を殺すはずのところで、おのれの自我を殺す。
外界へ旅をするはずのところで、自分の内面に辿り着く。
そして、孤独になるはずのところで、全世界と一体になる。

 

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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