「わからない」という言葉が本当に言わんとしていること

ココロのコラム(雑記)

「わからない」っていう言葉を

よく言ってしまうあなたも
あまり言わないあなたも

こんにちは。

スマホで「っ」のような小さい文字の入力方法がわからなくて画面の文字を小さくツマミ杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えー、私、先月はじめてスマホを買ったんですけど、まわりの人に、「使い方がわからない」って言ってたんですよ。

そしたら、みなさんやさしいので、「こうしたら使い方がわかりますよ」って、いろいろ教えてくださったんですけど、フと気づいたのは、

たしかに私は、「スマホの使い方がわからない」んですけど、私の「わからない」という言葉の本当の意味は、

「スマホに興味がなくて、使い方を覚える気がしない」

だと思ったんです。(↑教えてくださってみなさん、申し訳ございません!)

そりゃもっと説明書をちゃんと読んだり、わからないところをネットで検索すれば、使い方はわかると思うんですね。

でも私はそれをする気が起きなくて、とりあえず、「わからない」って言ってたんだと思うんです。

 

あ、でもですね、もし私が、そういう意味で言っていることに自分で気づかずに、この先も、

「スマホの使い方がわからない、わからない」って、さらに人に言い続けていたら、

まわりの人は、私がわかるようにもっと教えくださると思いますし、

でも私はスマホに興味がないのでそれをやろうとしないしで、

まわりの人は、「杉田さんが「わからない」って言うから教えているのに、なんでやらないんだろう?」って次第にイライラしてくると思いますし、

一方、私は私で、この「スマホに興味がなくて、なかなか覚えられない」っていうのは、「私自身の問題」なのに、

「こんなわかりづらいスマホがいけないんだ!」

なんて、「スマホ自体が問題!」っていう話にスリ替えたりして、ますます訳が「わからなく」なっていくと思うんですね。

ということで、こんな感じで、人は、「わからない」という言葉を、時に本人さえも気づかないうちに、いろいろな意味で使っていることってあるんですよ。

で、ますます「自分のことが自分でわからなくなっちゃう」というか。

 

あ、で、私、そういうことを、よくセラピーの中でも感じることがあって、今回の記事は、

「クライアントさんが、「わからない」という言葉を言われる時、こういう意味で言っていることもありますよ」

っていう例を2つご紹介したいと思います。

 

さてさて、ではまず1つ目の「わからない」ですけど、たとえば、心身ともに病気でないのに、長く引きこもっている方がいたとして、私が、そういう方に、

「今回、○○さんは、自分のどこを変えたいですか?」

ってお聞きすると、

「エッ?」みたいな感じになって、「わかりません」て言われることって結構あるんですよ。

というのは、長く引きこもっている方が、元気になるには、外に出たり、人に会ったり、一歩前に出る必要もあったりするわけですよね。

でもそのことに気づいてしまうと、自分が「行動」して、現実に向き合わなくはなくてはならなくなりますから、

「今回、○○さんは、自分のどこを変えたいですか?」っていう質問に、

「それに気づいてしまうと自分が変わらなくてはならないから、気づきたくない」

という意味で、「わかりません」と言われりすることってあるんです。

こんなふうに、人は、自分にとっての「大きな気づき」になるようなことがあると、怖さを感じて、「わからない」って言ってしまうことってあるんですよ。

 

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それから2つ目の「わからない」ですけど、たとえば、「イラストレーターになりたい」という方がいたとして、

「本当にイラストレーターになりたいか、自分の気持ちがわからない」

なんて悩んでいることってあるんですけど、そんな時、私はおなじみの

「もしお金に不自由しなかったら、何をしますか?」

っていう質問をするんです。

で、その方が、その質問に「イラストレーターになる勉強をする」なんて答えた場合は、その方が「イラストレーターになりたい」っていうことはハッキリしているわけですから、

「わからない」のは、「自分の気持ち」じゃなくて、

「イラストレーターとしてうまくいくかどうか」のほうなんですよね。

ということで、「○○になりたい(したい)けど、自分の気持ちがわからない」みたいに悩んでいる時に私がオススメするのは、

「自分のアタマとカラダを分けて考えてみる」ってことなんですよ。

あ、これ、前の記事でもお話したんですけど、この「アタマとカラダ」って役割が違っていて、

アタマ・・・「損得」を判断する (うまくいくかどうか)
カラダ・・・「快不快」を判断する (やりたい/やりたくない、スキ/キライ)

なんです。

で、この役割を、ここでの話に当てはめてみると、

アタマ・・・イラストレーターとしてうまくいくかわからない
カラダ・・・イラストレーターになりたい

ってことですよね。

となると、先ほどお話したように、ここでの「わからない」は、「自分の気持ち」ではなく、

「イラストレーターとしてうまくいくかどうか」ですから、

この「うまくいくかどうか」さえハッキリすれば自分が「わかる」ってことになるわけですよ。

でももちろん、この「うまくいくかどうか」の答えって、最終的には「やってみないとわからない」わけですけど、

そんな中でも「できること」といえば、実際にイラストレーターとして働いている人に会って話を聞いたり、イラストレーターの仕事が見える場所に行ってみたりなど、

「より精度の高い情報」を集めて、それを元に、

「自分にできそうか?」
「うまくいきそうか?」

を自分で判断することだと思うんですね。

ということで、

こうやって「アタマとカラダを分けて考える」と、「わからない」の内容が整理されて、

ある程度対処法が見えてくることもあるんですよ。

あ、といっても、先ほどお話したように、「わからない」は、

「わかりたくない」という意味の時もありますから、

その「わかりたくない」気持ちを大切したほうが幸せな時もあるわけで、無理に答えを出さなくてもいいんですけどね。

(そんな「わかりたくない」の例はコチラからどうぞ)

なろうとしない人

 

それでは最後に質問です。

あなたがいつも「わからない」って言っている「あのこと」は、本当はどんな意味で「わからない」って言ってますか?

もしかしてあなたの言う、「仕事がわからない」は、

「仕事に興味がなくて、覚える気がしない」

だったりしませんか?

キャー!(笑)

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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