「絵をやりたいのかわからない」という悩み

個人セッション(心理セラピー)体験者の声

「絵をやりたいのかわからない」

と悩んでおられたクライントさんから、
個人セッション(心理セラピー)の後にいただいた感想です。

(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

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杉田さんへ

お久しぶりです
ますます健勝にてご活躍のことと存じます

(かなり長文ですがお許しください…)

遅くなりましたが、今年最初のメルマガありがとうございました
(メールボックス封印状態だったので、ひと月以上気が付きま せんでした…)

去年の7月半ばに受けたセラピーから、
もう9か月も経って いるのかと思うと
月日の流れる速さにビックリです!

あの時はもう、自分の腹の中(空腹ではなくて、感情や思考・心の持ち方など)は、グチャグチャでした…

いわゆる、「何をしたいかわからない」状態だったんでしょうね
それを、趣味のスランプだと思い込んで、何年も堂々巡り…

誰に相談しても何の解決にもならず、
ひたすら苦しみ続けるだけでした

でも、一見普段通りの生活が送れているのと、
(女子なのに)無駄に甲斐性があるせいで、
(自分がツライのに)逆に愚痴を聞かされる側に回らされたりという、
理不尽で鬱々とした日々を過ごしていました…

そんな悩みから逃れたくて、
インターネットでいろいろ調べてるうちに
正ネガの記事にたどり着きました

ブログの記事を読み進めるうちに、
「この人なら何とかしてくれる!」
という確信を得て、
△△県の山奥から首都・東京までの 大冒険を決行しました

(何とかしてくれる、と言っても、杉田さんにすべて丸投げ~
という意味ではなく、自分の殻を破るきっかけや手助けを
してくれる、という意味です。
おそらく第六感的なものが働いたと思われます)

今、冷静になって考えてみると…普段はお家大好きで、
よっぽど切羽詰まらない限り出かけようとしない私が
そんな大冒険に踏み切ったということは、
よっぽど 苦しかったんでしょうね…当時の私…

セラピーを実際に受けてみて分かったのは、
悩みの根っこが 「親子関係」にあったことでした

昔から母親にべったりで、
周囲にそれを指摘されても疑問に 思わないくらいに母が好き……
なんだと思ってました

しかし、蓋を開けたら、

母は本当は姉のことを一番に愛していて、
私はその代用品 だったってことに本当は気が付いていたこと

それを不満に思っていたけど、
たとえ「誰かの代わり」だった としても、
母に愛されたかったこと
(子供が親に見捨てられる=死の恐怖、ってことも含めて)

を認めることが出来ていませんでした

これが、私を包んでいた「殻」の正体であり、
私の望んでいた「殻を破るキッカケ」でした

そして確信通り、杉田さんは魔法で呪いを解くかの如く、
私の殻を破ってくれました

でも、肝心の「母に対するワダカマリ」を解決することは出来ず、
セラピーはそこで終了してしまいました…

あの時の私は、気持ちをうまく言葉にすることが出来なくて、
ただ硬直するしか出来なかったんですが(笑)
今なら、あの時の自分がどういう気持ちだったのかを
説明することが出来ます

私はあの時、ただただ「母が可哀そうだ」 と思ったんです

子供のころから母は、自分の母親(私にとって祖母)
の愚痴を繰り返していました

(よくよく考えたら、普通は子供に聞かせるような話じゃないですよね…)

四人兄弟の二番目(私と同じ位置)だった母は、ことあるごとに、

「祖母は長子である兄(私にとって伯父)ばかりを可愛がった」

「私がどんなこと(お手伝いとか)をやっても、全く認めてくれなかった」

と、まるで口癖のように繰り返していました

私は祖母が好きだったし(おばあちゃん子だった)、
母は(結婚して家を出たんだから、
そんなに嫌なら絶縁すればいいのに) 、
学校の夏や冬の長期休暇に、
私たち(主に姉とセット)を祖母の家に 預けてお泊りをさせてました

(子供心に、母はなぜそんな矛盾することを繰り返しているのか、
と思っていた。)

ただ母は、祖母のことを愛していたんでしょうね
でも、それは最後まで叶うことはなかったみたいですが
(本当のところはどうなのか分かりませんが)

そんな背景があったので、
そのうえで

「私まで母に怒ったら母が可哀想だ…!」

と強い抵抗が生まれ、上手く発散することが出来ませんでした

それは愛だったのか同情だったのかはよく分かりません
…が、とにかくその時は、強くそう思ってしまったんです
(これも、子は親に無条件の…ってやつなんですかね…?)

未だにそれが、自分の心の中に引っ掛かってるんじゃないか…
と、気にはなっています
(普段からこんなことばっかり考えてるわけじゃないですが)

しかし、そのことよりも、

「自分の中で起きた変化」のほうが、はるかに大きかったです

全部を言葉で言い表すことは難しいんですが、
月日を重ねるごとに、
今の今まで無視し続けていた私の気持ちや感覚が分かるように
なってきました

対人関係でも、
いつも人の目を気にして、人から嫌われるのを恐れているくせに、
気を使いすぎて疲れてしまい、人を傷つけて遠ざけて、
結果、嫌われる…という負のサイクルから、
自力で抜け出す ことが出来るようになりました

極端に嫌われることを恐れなくていいし、
それでも相手から嫌われるようなことがあっても、
それはその人の勝手だし、仕方のないことだと認められる、
ある意味「諦められる」ようになりました

↑これってたぶん、(行き詰っていた当時の自分にとっては)
「母と私の関係」が影響してたんですよね?

あともう一つ、本当に嬉しかったことは、

やっぱり私は絵を描いたり文章を書いたりすることがスキなんだ、
とハッキリわかったことです

親の刷り込み(正ネガブログより)による

ありのままの自分には価値がない、
ありのままでいてはいけない、
自分の好きなことを優先してはいけない

ということが絡んでいたんだと思います

絵を描くなら、それで食えるくらいにならなくちゃ
(お母さんに認めてもらえない)

(仕事したくないけど)お給料をもらって、 家計を支えなくちゃ
(お母さんに認めてもらえない)

自分がしたいことだけをしてたら駄目だ、
もっと家の中で家庭を支えないと
(お母さんに認めてもらえない)

(↑嘘みたいですが、当時の私の価値観です)

そりゃ、こんだけ相反する思考と感情が
一つの心(器)の中でゴチャ混ぜになっていたら、
やりたいことが何なのか分からなくなるわけですよね…

今は、その時のグチャグチャ(笑)が
嘘のように、とても心が静かです

というのも…

セラピーを受けてから、日が経つに連れて、
いろいろなことに気づくことが出来たからなんです

まずは、杉田さんが破ってくれた「殻」について

その中にいるときは、窮屈で苦しくて仕方なかったのに、
殻の外へ出た今、ようやくそれが
「今まで自分自身を守り続けていてくれたこと」
に気づいたこと

次に、大好きな「絵を描くこと」でも、
いつしか 私にとって絵を描くことは、
「才能」だと思い込んでました

でも、芽が出ないし…
そんなことはないはずだ!と何年も疑問に思い
悩んでばかりでしたが…

最近ようやく、この「絵を描く」ことが
自分にとっての「負の遺産」だと気づくことが出来ました

どういうことかというと…

(母子関係の件で) 私は子供ながら
「親は信用できない」と、思っていたし、

保育園で一番仲の良かった子と
(校区の関係で)引き裂かれるという体験をしてから、
「他人は信用できない」
(仲良くなっても、またいなくなってしまうから)

そんな、誰ひとり味方のいない状態で、
自分一人だけでやっていかなければならなく
なった状況から「自分を守るために得た能力」が、
「絵を描く」ということだったんです

それが分かったとたん、自分の中でナニかが
「ストン」と落ちました

もう「才能」に振り回されることもないし、
「仕事してるせいでやりたいことが出来ない」って
悩まなくて済む、と

これからはもう、「絵を描くこと」を
やってもやらなくてもいいし、
やめたきゃ、いつでもやめたらいいし、
やるにしても「誰かに認められるため」に描かなくてもいい

全然評価されなくても、
むしろ人から気持ち悪がられても、
自分が「絵を描くこと」や
「文章を書くこと」に喜びを感じる のなら、
それでいいんだ、ということが分かりました

今ではもう、絵を描くときに感じていた、
「アクセルとブレーキを同時に踏む」みたいな抵抗が
全くなくなったし、

嫌ならいつでもやめていい、という自由な気持ちで、
肩の力を抜いてスラスラと描けるようになりました
(ただ、しっかり肩は凝ってしまうんですよね…物理的に・笑)

文章についても同様です

物語を一つ完成させるたびに
「生きてる」という実感(喜び)を
強く感じるようになりました

私にとっての「負の遺産」は、
同時に、私を生かせてくれる「喜び」 であり、
大切な「宝物」なんだ、と
ようやく気づくことが出来ました

覚えてないと思いますが、
杉田さんはセラピー中に

「おそらく○○さんは絵を描くこと自体は
本当に好きなんだと思います」

と、仰っていましたが、
本当にその通りでした(笑)

やめてもいいけど、続けちゃう
これも一つの「スキ」なことなんですね(笑)

ものすごく長くなってしまいましたが、
これが
(以前お送りした「なんちゃってメール」に代わる)
セラピーの感想としての返信、ということで(笑)

またいずれ機会があったら、杉田さんのセラピーを
受けてみたいと思いますが、
その時には何も悩んでなくって、一時間ポーっとするか、
世間話ばっかりして終わりそうです(笑)

本当に長くなってしまいましたが、

杉田さんには、本当に感謝の念しかないです
全く何の由縁もないけど、
自分のことを助けてくれるひとが いるんだなぁ、
ということを知ったのが、本当に大きかったです

本当に、本当に、
ありがとうございました!

花粉も飛び始めて(泣)少しだけ春らしくなってきましたが、
まだまだ寒暖を繰り返す日々が続いていますので、
何卒ご自愛ください

益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます

誤字脱字、失礼しました!

 

>「私まで母に怒ったら母が可哀想だ…!」

子供が親に対して持っている愛は、

「Blind love(盲目的な愛)」

と言われていて、

「お母さん(お父さん)のネガティブな姿を見るくらいなら、私が犠牲になります」

のような愛の形をとります。

なので、子供から見て、お母さんが大変そうだったり、可愛そうだったりすると、

子供は、「お母さんをこれ以上大変にさせてはいけない!」と思って、

自分がやりたいことをガマンしたり、

言いたいことを言わなかったりなど、

お母さんに負担をかけないようにします。

そして中には、そういう振る舞いを大人になっても「無意識に」ずっと続けていて、お母さんの前にいる時のように、

「言いたいと思っていることが、言えない」

「自分がやりたいと思っていることが、なぜかできない」

など、アクセルとブレーキを同時に踏んだような感じになる人もいます。

個人セッション(心理セラピー)では、そういった人のブレーキを緩めて、ラクに生きられるようにサポートします。

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