「いつも自分を責めてしまう」という悩み

個人セッション(心理セラピー)体験者の声

「いつも自分を責めてしまう」

と悩んでおられたクライントさんから、
個人セッション(心理セラピー)の後にいただいた感想です。

(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

スポンサーリンク

 

杉田先生。

遅めの夏休み、いかがお過ごしでしょうか?
セラピーのお礼、感想、遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

昔から、思いが全部言葉になって溢れてきて、からだが破裂しそうな感覚になるけど出せないことがよくあって、

でもセラピーでやっと、今までとらわれていた言葉を解放してあげることができて、生まれて初めて、

「体内に我慢している言葉が何もない」

という状態を味わったんですね。
はぁ~、何もない。って。

だから、しばらく変に頭を使いたくなかったんですけど、でも、自分が何から解放されたか忘れたくなくて、

セラピー直後に、まとまらないまま、ある人に全部話を聞いてもらっていたんです。(△△さんなんですけど(笑)。)

今、それをやっと思い起こしてまとめる気持ちになりました。
その当時のメールに書いたことを、ほぼそのまま、送ります。

すごく生きにくいな、と思うときを考えてみると、

「◯◯が~なるくらいだったら、~した方がまし(~しない方がまし)」

っていう選択の仕方で生きてることが多いなって思うの。

例えば、私の場合だったら、小さい頃「母親はほんとに死ぬかも」っていう恐怖にさらされてたし、話を聞いてもらえない寂しさもあった。

だから、

「お母さんに心配をかけて、死んじゃう恐怖を味わうくらいなら、私は何でもする。心配かけないように、元気なフリをしていた方がまし。」

っていうのは、無意識が必死に守ってたことだったんだよね。

それプラス、父親がキレて殴らないよう、細心の注意を払って機嫌をとることも必要だった。

でもさ、「~した方がまし。」って思ってるってことは、本当は自分でもベストな手段は別にあるけど、やむなく選んでる、ってわかってるということなんだよね。

だからムリがくるわけで。

本意ではない。
でも「絶対に避けたいと思ってることが避けられる」ってメリットがある(と思い込んでる)から、やめられないし、方法はこれしかないって思い込んじゃうんだ。

でもね、セラピー終盤に、母親の席に代わりに座ってみる瞬間があって、

そしたら、母親も私のことを心配しまくってて(笑) 、
お互い心配してて、心配のループにとらわれてて、
前に進んでないんだ、ってわかったんだよね。

そしたら杉田先生が、タイミングよく

「”心配”って形じゃなくても、お母さんを思ってるってことは伝えられますよ。」

って言ってくれて。

で、そのとき、ハッとして。
そうか、母親が死んじゃう恐怖の向こうには「母親を大切にしたい」という目的が隠れていたのか。

今まで「心配」で解決しようと思っていたのは、私自身だった。

「心配する」って形でしか、恐怖からは逃れられないと思い込んでたのは私。

私の本当の目的は、「ちゃんと思ってるよ」って伝えること。

心配するっていうのは、あくまで「思う」手段の中の1つでしかなかったのか。って、全部のカラクリがはっきり見えた気がした。

あぁ、それなら。本当の目的が叶うなら、手段は何でもいいじゃないか。
たとえば、「感謝する」ってことでもいい。

で、もし、感謝で十分伝えることができるなら、多少心配かけてもいいのかもしれない。

元気なフリをして、周りからそう思われるのもずっと苦しかったけど、元気じゃないときに元気である必要、というか、ロジックは、もうそこにはないというか 。

ああ、公式に当てはめてたの自分だった。

大事なのは、

「自分は何が怖くて、何を避けたいと思ってるのか?」

「それを避けること自体が本当の目的なのか?違うなら、本当はどうなるのが望みなのか?」

をつかむこと。

それさえわかれば、 今までやってきた 形 にこだわらなくてもいいし、「まだまし」だと思ってやってきたことなんて、とっととやめちゃえばいいんだ! と思った。

悩んでることの多くは、私の場合は、やっぱり親関係だったけど、

望みは、「大切に思っていますよ」って伝えることだった。
いろんな思いを乗り越えてそこに気づけた。

そこが伝わるなら、別に、今までやって上手くいかなかった 形 は捨てればいい。

形 を変えられるなら、それによって犠牲にしてきたことも変えられる。

もう、我慢しなくていいんだ。


なんか、同じことぐるぐる言っちゃってますが(笑)。
これが、セラピー直後の思いでした。

これは、きっと、いろんなことに当てはまるんじゃないかな、
と思います。

少しずつ、身の回りの他のことにも当てはめていったら、
思い込みが、自分で書き換えられるかもなぁ……。と思っています。

ふぅ~…………(-.-)

でも、ここに至るまでに、
溜め込んできた感情を吐き出すこと、がまず先決で、
そこに、杉田先生がいてくれたこと。ここありき、ですね。

やっぱり怖さ・寂しさ・憎しみを乗り越えることは、
一人じゃ無理でした。

私、本当に杉田先生に感謝しています。
5回のセラピー、全力でやっていただいたこと。

セラピー後

「私からは何も言うことありません。
本当にずっと頑張ってきたんだなぁと思って……
なんか、私もしんみりきちゃったぁ~」

って言って下さったこと、忘れません。

もしかしたら、また、お伺いするかもしれません。
でも、その時は今までなら持ち得なかった類いの悩みな気がします。

何を抱えることになるのか、楽しみですらあります(*^^*)

改めて、本当にありがとうございました。
また、気づいたことありましたら、その都度ご報告しますね!

 

> 「心配する」って形でしか、
> 恐怖からは逃れられないと思い込んでたのは私。
> 私の本当の目的は、「ちゃんと思ってるよ」って伝えること。

こういうのが、「台風に目に触れる」ということです。

そこに「気づく」と、人は変わっていきます。

タイトルとURLをコピーしました