「仕事場であたふたしてしまう」という悩み

個人セッション(心理セラピー)体験者の声

「仕事場であたふたしてしまう」

と悩んでおられたクライントさんから、
個人セッション(心理セラピー)の後にいただいた感想です。

(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

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杉田さんこんばんは、○○です。
本日はありがとうございました。

さっそくですが、今日のセラピーの感想です。

まず、こんなに楽しいセラピーは初めてでした\(^o^)/

今日のセラピーを振り返って思う変化は、「セラピーの受け方が変わった」ことでした。

今までは、どちらかというと「受け身」傾向だったのかな。

でも今日は、何かシックリこないと感じると、
「すみません、もう一度お願いします」
と、杉田さんに自分の意志を伝えることができて。

最初は、杉田さんに「なんだよ、また言わせるのかよ!」と怒られるんじゃないか、と緊張して、お願いするのは勇気が要ったのですが、
(申し訳無さそうなカオをして、怒らないでね~アピールも忘れなかった(笑))

後半になってくると、普通に
「すみません、ちゃんと感じたいので、もう一度お願いします」
と、大人の頼み方ができるようになりました。

そういえば、杉田さんのブログのコメントに
「セラピー受けるかどうかを、私はちゃんと自分で判断する姿勢がありますよ。だから怒らないで褒めてね」
というアピールを二度繰り返して書き込んだことがあるのですが。

このコメントを書いてた時、自分でも何かモヤモヤするものを感じたので、これは何かあるな~と感づいてはいたのですが。

今になって分かるのですが、ああ、僕は杉田さんに「母親」を投影して、杉田さん=母親の顔色を伺ってたんだな~と。

今考えると、杉田さんにそんな懸命にアピールして、我ながらいじらしいなあ~と思えます。
ただの丸刈り坊主の男性なのに…ガッハッハ!

マジメな話、杉田さんのセラピーを申し込む前は、かなり迷っていました。
セラピー受けたいんだけど、こんな中途半端な気持ちで受けて、怒られたらどうしよう…そういう迷いが生まれること自体、自分にはセラピーは必要ないんじゃないか?とか。

で、実際に受けてみて気づいたのが、
「頭で考えてるだけじゃ、こりゃ分からんわ」でした。
セラピーの現場の「意外な展開」は、まず事前の予測は無理です。

あと、気づいたことを箇条書きすると、

・聞かれてもないのに「どうでもいい」と言う時ほど、実は「どうでもよくない」。

・頭で考えている以上に、心は深く傷ついている。

・多くの問題は、一つの問題(特に親との関係)に集約される。

・場の力。体験の威力。
一人でゴタゴタ考えてるのが吹っ飛ぶぐらい、現場の体験は威力がある。

・セラピーを受けることは、「悩むことで浪費する分の時間」を、お金で買う側面もある。

・セラピーを受けている時は、頭で考えるより、心で感じる方が大切。
さらに言うと、感じた身体感覚を、それに相当するシンプルな感情語に置き換えることも大切。それは実際に口に出して言ってみることで、口にした後の感触を確かめるとよいかも。
口に出すことが、感情を揺さぶる呼び水になる。

・Twitterのつぶやきは、本人が丸出しになる。
何億とある話題のうちから、その話を取り上げるのだから、そこには何かある。
(これは杉田さんのお話で、なるほどなあ!と思ったことですが)

未解決の問題は、まだまだあるんでしょうが、とりあえず、「仕事して生活する」レベルでの問題は、だいたいいけたんじゃないかなーと思っています。

今、うすうすと感じている不安は、
「この変化が一時的なもので、元に戻ったらどうしよう…」という不安です。
でも、杉田さんも「いつでもおいで」とおっしゃって下さったので、それは心強いです。

何かまたモヤモヤすることがあったら、その時はよろしくお願いいたします。

杉田さんがセラピストを目指してくれてよかった~、と、
心から思いますよ、ホント(^ ^)。

ではでは。

 

「三つ子の魂百まで」とはよくいってもので、幼少の頃の親との関係は、一生を左右します。

性格は、5、6歳前の頃までにほぼ固まり、15、16歳頃には完成するといわれています。

ですから、「子供の頃の親との関係 = 現在の他人との関係」といっても過言ではありません。

大人になっても、無意識に自分の親の顔を他人の顔に当てはめて生きているわけです。

だから、いつも親から怒られていた人は、他人からも怒られるんじゃないかと不安になります。

セラピーでは、そんな方に、「親 ≠ 他人」ということが腑に落ちるようにサポートしていきます。

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